新シーズンのオリーブオイルとザアタルが入荷しました!

背景がわかる良質な商品をお届けします。

パレスチナ・オリーブでは、素材の質や効能はもちろん、
誰が、どんな状況で、どういう方法で作ったものなのかといった製造背景をクリアにしています。
だから安心。だから美味しい。だから、自信を持ってオススメできる商品ばかりです。

生産者パートナーと協力し、ともに生きる
誰もが大切にされる社会を作っていきます。

パレスチナ・オリーブは、パレスチナ北部のガリラヤ地方(1948年からイスラエル領)のオリーブオイルなどの食品、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)ナーブルスのオリーブ石けん、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)イドナ村の刺繍製品を扱っています。

実際に食べて使って納得したものを輸入し、現地を訪問・交流しながら活動しています。

イベント

『ぜいとぅーん』47号 1年を振り返って

『ぜいとぅーん』47号 2012年2月29日発行

1年を振り返って-パレスチナ・オリーブのスタッフより-

【皆川】

 2011年、世界的には1番のトピックは中東の変動だったでしょう。エジプトの状況をよく知らないのに「自由の声」をYouTubeで見たときには、心を動かされました。エジプトでも世界中でも視聴された曲です。わかりやすい歌詞とメロディー、タハリール広場にいる笑顔の人々の映像(YouTubeで「自由の声」で検索すると歌詞の日本語訳付きのものが出てきます)。

 2010年1月末には、ガリラヤのシンディアナの連携団体のマアン(イスラエル内、エルサレム、ヨルダン渓谷のイスラエル企業で働くパレスチナ人労働者のための組合)スタッフから「私は、社会主義者の女性として、労働者を組織する者として、自分を誇りに思ってきたけれど、今回初めて、自分がアラブ人だということを誇りに思った」というメールがありました。エジプトの独立労組連合結成宣言も転送してくれました。

(エジプト革命の背景、若者や労働団体の動きなどについては、長沢栄治『エジプト革命』平凡社新書、が勉強になりました)

 一方、リビアへのNATOによる空爆のときは、米軍のイラク攻撃に比する暴挙だ、とメールが届きました。

 決して「民主化」「アラブの春」ではくくれませんが、中東は動き続けています。でも、震災以来、仙台・宮城の生活と中東のできごとをうまく結びつけて感じることができませんでした。

 しかし、日米関係、核・原発問題、日本・中東関係は別々のことではありません。前号の『ぜいとぅーん』に同封した、ミーダーンの提言「〈3・11〉以後の〈私たち〉と〈パレスチナ〉ヨルダンへの原発輸出の動きから問われるもの」には、多くの皆様から考えさせられたと感想を頂きました。これらについては、ぜひ『インパクション』182号(インパクト出版会)をお読み下さい。

 さらに、その『インパクション』の中で板垣雄三さん(中東研究者)は、「さようなら原発」6万人集会での武藤類子さん(ハイロアクション)のスピーチは、中東に始まる新・市民革命の「人間の尊厳」「世界の変革と自己の変革を結びつけること」と通じると述べています。

 「武藤類子さんは別に中東を意識しているわけではないでしょう。しかし武藤さんが核兵器や原発の対極にある「新しい世界」をつくることを問題にされるとき、それは、私には、私のいう新・市民革命とピタリと一致する決意として聞こえてくるのです」

 武藤さんは、福島県船引町にある「里山喫茶 燦」で、ずっとオリーブ商品を取り扱ってくださっていました。


 パレスチナ・オリーブ自体には、直接的な被害はほとんどなかったとはいえ、それぞれのスタッフが大きな影響を受けました。

 パレスチナ・オリーブのお取扱店やお客様にも様々な変化がありました。地震・津波・原発事故で被災された方々。避難/移住された方々。

 仙台のアレルギー対応食品・自然食品&カフェ「ヘルシーハット」さんは、自社製造製品含め販売する食品の安全性を確認するために食品用の放射線測定器を購入されました。安全を確認してこれまで販売してきた宮城県の米粉や野菜を取り扱いたいというお気持ちからだそうです。市民からの持ち込みの食品測定も始まっています。


 本当にたくさんの応援を頂きました。カンパや物資、野菜や果物を送ってくださった方々。東北支援フェアをしてくださった方々。色紙などでメッセージを送ってくださった方々。

 パレスチナの生産者団体からも応援のメッセージをもらった他、シンディアナがコミュニティカフェで使って欲しいと山ほどのハーブを送ってくれたり、イドナ女性組合が「売上を全額カンパに」と刺繍の小物類を数十点送ってくれたり(広島のサラームさんなどで販売、売上を頂きました)。

 本当にありがとうございました。

 しかし、お礼と報告さえ満足にできずに大変申し訳ありませんでした。震災が、1年経っても精神的に立ち直れないような、こんなにも変化と打撃を与えるものだと、当初は認識できていませんでした。


 今更ですが、仙台・宮城はずっと「被災地」です。毎日、体に感じる余震があり、ずっと震災と向き合う日々。仙台・宮城では、会う人が全員被災者で、ここで、震災に関係ないことなんて何一つありません。ローカルニュースはいまもずっと震災ニュースです。

 仙台市内は、地震で被災した建物の解体や道路の補修が続いています。沿岸地域は居住制限もあり元通りにはならず、亡くした家族、失った仕事・生活も同じようには戻りません。そして、多くの放射性物質が降り注いでしまいました。「国産より外国産、露地栽培よりハウス栽培、平飼い卵よりケージ飼い卵、外遊びより家遊びがリスクが低い。あべこべの世界になってしまった」と、県南に住んでいた有機農家の友人が嘆いていました。

 世界は変わってしまった。その意識は強烈にあります。みんなでつながって、新しい暮らしをつくっていくしかない。

 震災以来、パレスチナ・オリーブとは別に、「せんだいコミュニティカフェ準備室」として活動してきました(実店舗の話も少しずつ進んでいます!)。コミカフェスタッフとして、2月19日に仙台で行われた「おとのわ」に参加しました。

<東北から子ども達の安全な未来とあたらしい暮し方を自分たちの手で育み、発信していけるよう音楽をエネルギーに、歌い、踊り、つながり合う場。>

 ライヴの他に、カフェや物販のコーナー、放射能相談コーナーなどを設けました。

 実行委員も参加者もミュージシャンも一緒に過ごす、暖かな空間となりました。とても楽しかったです。(子ども向けの内容というわけではありませんでしたが)子連れで来た方が大変多く、みんなが楽しんでいました。

 放射能情報を求めてきた方にも、いろいろな人・団体を紹介しつなぐこともできました。「福島応援チケット」での入場もありました。


「仙台・宮城での安心な暮らしを提案していく」か「避難移住/保養を紹介する」か。

「測定して不検出なら宮城の野菜(食材)を使う」か「土壌汚染の心配のない遠方の野菜を使う」か。

 いろいろな意見があると思いますが、私はどちらもサポートしていくしかないだろうと思っています。ただ、(野菜に放射性物質が移行しなくても土壌にはあるので)農家さんの被曝問題をどう考えたらいいのだろうと思います。


【くわばら。】地震後の職場日記

 長く激しく揺れていました。人一倍地震嫌いの私は、ただ叫んでいるしかなく。
 その後何回も何回も地震は続きました。
 みんなが通りに出て、声を掛け合っていました。
 今、自分たちに何が起こっているのか知りたいのに、ラジオは「津波に警戒してください」とだけ繰り返していました(今にして思えばそれでよかったのですが)。
 震度も状況も何もわからないまま、帰宅のためにトイレに入ったところ、壁のタイルがだいぶ剥がれてトイレもめちゃめちゃな状態になっていました。

 毎年商品は4月以降に入荷するので、幸い商品が少なくなっており、職場はほとんど損害がなかったので、その日はそのまま急いで帰宅の途につきました。

 その後初めて職場に行ったのは1週間後だったか10日後だったか、、、もう覚えていません。街に買い出し(みんなリュックを背負ってマスクをして帽子を被ってきょろきょろして疲れ果ててバスにぎゅうぎゅう詰めになっていました)に出て来たので、やっと様子を見に行けました。

 3月の終わりにやっと運送会社も動き出し、職場も再開しました。

 でも、あの地震に遭った場所なので、常時緊張していたし、お恥ずかしいことですが、数ヶ月は怖くて夕方になると一人で職場にいることができませんでした。地下鉄の駅では立っているのがつらくてしゃがんでいたり、一斉に鳴り出す携帯電話の緊急地震警報もつらかった。

 なので、6月になり、新しい商品が入荷した時は、やっとちょっとウキウキした気分になりました。予約をいただいていた出荷準備で気分を紛らすことができたのでがんばっちゃって、、、8月には大熱を出して倒れました(笑)。みんな風邪をひくのも花粉症も忘れるほど、いろいろ大変だったので、だいぶたってから具合の悪くなる人も多かったようです。


 いろいろと思うところはありますが、一つだけ。もともと人はそれぞれ違った思いや表現方法を持っていると思って生きてきましたが、この震災によって、そういう人それぞれがまた変化して、そのそれぞれの変化に本人も周りもついていけなくて、それでも日々が過ぎていく、という感じです。

 地震や「地震が起こるかも情報」も毎日毎日追いかけてくるし、原発も心配です。

 ぜいとぅーんの前々号に「なんとかやっています」と書きましたが、いまだに、そして当分「なんとかやっています」が続きそうです。

 震災後も皆様ご注文ありがとうございます。こういった状況でも仕事をすることができて、一同幸せに思っています。これからもよろしくお願いします。


【みずゑ】

 3月17日に仙台から大阪に避難しました。電気・水道・ガス・交通などのライフラインが止まった上、震災前に足をけがして動けなかったので、友人たちがバスをチャーターし避難者受け入れ態勢をつくるという話を聞き、仙台を出て新潟経由で大阪に向かいました。

 その後たどり着いた京都は全くの異界でした。全く地震はなく、当たり前のように電気が付いていて、お店には商品が豊富に並んでいる。それを目にしたときには泣いてしまいました。

 最初は、シェアハウスで受け入れてもらいました(公的な援助ではありません)。そこのテレビで初めて原発事故や津波の映像を目にしました。

 8月末に、京都のシェアハウスの方たちと一緒に、震災以来初めて仙台に戻りました。屋根の瓦は落ちたまま、家の中も乱れたまま、冷蔵庫の中も片付けないまま出てきていました。一人で片付けるのは辛いだろうと、京都から一緒に来てくれたのです。みな、震災後、京都に避難してから知り合った方たちです。助かりました。

 そして、みなで宮城県の沿岸地域を車で回りました。京都の方たちは「みずゑさんと行ったことで、自分たちと当事者で受け止め方が違うということが分かった」「自分たちは何も知らないということを知った」「共有できない体験があるということを知った」と言ってくれました。この言葉で救われた気がしました。


 京都では、体験を共有していないという疎外感と同時に、避難者としては違和感を持ちながら暮らしています。小さい子どもがいるわけでもないため原発事故避難者と自分で言いきれず、また場所としても自宅が津波で被災したわけでもないという気持ちです。

 いまは京都と仙台の二重生活です。パレスチナ・オリーブのギフトのラッピング飾りなどを京都でつくって仙台に送っています。飾りを作っているのはとても楽しいです。ご注文をお待ちしています! (談)


【早尾】原発と東北

 3.11は、私の生まれ故郷である福島県と、そしてパレスチナ・オリーブのある宮城県に深刻な汚染をもたらしました。この一年はそれとの格闘の年でした。

 ところで、東北地方は「米どころ」と言われます。とくに宮城県はひとめぼれとササニシキで有名ですが、福島・山形・秋田も全国有数の米生産地です。でも、稲は熱帯性の作物のはず。それがどうして「東北地方=米」というイメージになったのでしょうか。

 それは、明治時代に入ってから政府が、「辺境」である東北地方をお米の供給源にしようという政策のなかで、寒さに強い品種改良を重ねてきたからです。これって実は、東北地方や各地の「辺境」を大都市のための電力供給源としてきた原発と同じ構図ではないでしょうか。

 このことを指摘しているのは、植民地時代の朝鮮半島も含めた産米供出の歴史研究をされている山内明美さんという方です。ご自身、南三陸出身で、故郷は津波による壊滅的な被害を受けました。原発・津波と東北。この関係を子どもにも分かるようにと丁寧に書かれた、山内さんの『子ども東北学』(イーストプレス)をぜひご一読ください。

 さて、原発事故によって露呈したことは、国家が、地方やその地域の人びとを犠牲にしてでも、経済と秩序の維持を最優先するということです。放射能汚染に対して、政府は無策どころか安全キャンペーンを打つのが精一杯でしたし、避難にせよ測定にせよ、迅速に必要な自衛策を講じていったのは市民自身でした。

 中央から踏み台にされ、切り捨てられようとしている辺境。東北地方の歴史と原発事故以降の現在を見ると、そうした構図を直視させられます。では、切り捨てられるのならむしろ自立を、独立を。そう考えたときに思い浮かぶのが「東北独立」というテーマです。これは明治維新の際の東北戊辰戦争に端を発します。このとき東北地方の全藩は、奥羽列藩同盟を結成し、薩長の「傀儡政権」に対して、世界に向けて「国家独立宣言」まで出したのです。もちろん武力制圧されてしまいましたが、それはアイヌ平定と琉球処分とに先立つ内国植民地主義の始まりでしたし、それは後に台湾・朝鮮への海外膨張につながったのです。

 原発事故後、ますます国内での原発新設は困難になり、日本は東南アジアや中東への原発輸出にいっそう力を入れ、核産業の活路を見いだそうとしています。核廃棄物の最終処分場まで国内の過疎地をあきらめ、海外に探しています。植民地主義は続いています。そうであれば、この原発震災を期に、独立論も含めて、「東北って何だ?」っていうことを考え直すことはとても大切なことのように思います。

 

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投稿日:2012年09月22日(土)
この記事のURL:http://www.paleoli.org/?eid=84
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