7月22日に国立(カフェれら)でお話会します。

背景がわかる良質な商品をお届けします。

パレスチナ・オリーブでは、素材の質や効能はもちろん、
誰が、どんな状況で、どういう方法で作ったものなのかといった製造背景をクリアにしています。
だから安心。だから美味しい。だから、自信を持ってオススメできる商品ばかりです。

生産者パートナーと協力し、ともに生きる
誰もが大切にされる社会を作っていきます。

パレスチナ・オリーブは、パレスチナ北部のガリラヤ地方(1948年からイスラエル領)のオリーブオイルなどの食品、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)ナーブルスのオリーブ石けん、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)イドナ村の刺繍製品を扱っています。

実際に食べて使って納得したものを輸入し、現地を訪問・交流しながら活動しています。

イベント

『ぜいとぅーん』44号 訪問報告「石けん工場」「イドナ」

『ぜいとぅーん』44号 2011年2月3日発行

ナーブルス石けん工場

 2010年9月にアル・ジャジーラ国際放送の「Witness」のコーナーでナーブルスのビジネスを特集し(「占領下のビジネス」)、マジュタバさんの石けん工場も取り上げられました。アル・ジャジーラ! 世界デビュー!? 「反応はどうだった?」と訊くと、「放送後いろいろ問い合わせがあり、いまも続いている。」「カナダの大学から授業で使いたい、という話もあった」とのこと。でも「注文は増えた??」と続けて訊くと「それはない。石けんのプロモーションの番組ではないから」。う〜ん、すばらしい石けんなのに残念です。番組に感動するのと石けんを買うのは別のことなのでしょうか。

 冬のせいもあると言っていましたが(夏の方が早く石けんが乾くため多く作れます)、職人さんが2人減ってマジュタバさんと弟のマヘルさんのほかは4人。職人仕事もマーケティングもしているマジュタバさんは週6日働いていますが、工場は以前と変わらず注文によって週3〜5日の操業です。「職人さんたちへの給料もそれでは十分ではない、、、。」と言います。シンディアナからの注文は増えているけれど、世界不況のせいか全体の注文は減っているそうです。一方、マレーシアでは、このナーブルス石けん工場からの17種類のオリーブ石けんだけを販売する会社を作った人がいて、その会社のきれいなサイトを見せてもらいました。そこからの注文は、倍々、、、で増えているそうです。

 それでも、マジュタバさんは、いつものように「いままで高品質のオリーブ石けんは海外向けにだけ販売していたけれど、夏にはパレスチナ市場向けにも販売プロモーションを始めたい。」「手頃な価格の石けんを作るために工場の増築を考えている」と前向きな夢を話してくれました。2000〜2004年の軍事侵攻が激しくなかなか工場を操業できなかったときにも「いろいろなオリーブ石けんを作り世界に販売していきたい」と夢のような(と私は思った)話をして前向きに石けんを作り続けてきたマジュタバさん。職人さんたちへの仕事を増やすためにも、私もがんばって宣伝するぞ〜、品質は確かなのだから!と気持ちを新たにしました。

 実は、私が訪問を予定していた日の朝、石けんを成型する機械が壊れたため、マジュタバさんはラマッラーに修理に出かけ、工場も休業になりました。夕方前に戻るというので、私はとりあえずナーブルスに出かけマヘルさんや会計をしている妹のスハさんに会ったりしていました。ところが夜になっても機械が直らなくて帰れない。夜中まで修理工場にいたそうです。次の日も修理を続け、「遅くても13時には帰るから」と電話があったので、私は夕方からラマッラーで用事がありましたがナーブルスの街を散歩したりしてギリギリまで待つことにしました。ところが「ごめん、遅れる」。2日後には日本に帰る日程だったので、今回はマジュタバさんとはすれ違ってしまいました、、、と思っていたら、「会わないで帰るなんてあり得ない!!」と夜に電話がありました。「でもマジュタバさん、ちゃんと休まないと」と言うと「すっごく疲れているけれど、いずれにしても明日は朝から働かないといけないし」という返事。結局、私は翌日ナーブルスに戻り、工場でマジュタバさんや職人さんたちに会うことができたのでした。

 しかし、マジュタバさんは試験期間中の子どもたちの勉強を見てあげるために、朝は4時過ぎに起きたのだとか、、、。いい職人さん、いい経営者、いいお父さんを同時にするのはとてもハードです。無理して倒れないことを願っています。

ナーブルスの街

 街が拡大し、以前より活気があるように思いました。パレスチナでは人口の約50%が17歳以下と子どもが多いので、入り口に子ども服がぶら下がった服屋さんが多くあります。また、季節の栗、柿、イチゴもあちこちで山になって積まれていました。青と黄緑のロゴで統一されたジャワール(パレスチナの携帯電話会社)の看板もよく目につきました。しかし、マヘルさんは「いつまでこの占領が続くかわからない。たぶん、永遠にこの状況は変わらないかもしれない。町の内部で投資するとか、人々は何かするしかない。ナーブルス市内は活気があっても、町の外はずっと同じ状態。」と皮肉まじりに言っていました。

 1年ほど前から、第2次インティファーダでイスラエル軍に破壊されたムカァタァ(大統領府も同じ単語を使いますし訳しにくいのですが、治安や行政の本部)も再建中。計画の看板を見ると巨大な合同庁舎ができるようです。もちろん資金は海外からの援助です。

イドナ女性組合

 イドナのメンバーは、家庭の事情等で出入りはあるもののここ数年50人前後です。リーマン・ショック直後にはぱたっと注文が止まったそうですが、その後は順調に注文が増えています。現地で支援を続け、マーケティングにも力を入れている水本さんの努力の成果もあると思うのですが、イドナ女性組合の品質が評価されて他団体と比べてもイドナへの注文が伸びているようだということでした。

 訪問時は、特注の商品のチェックをしていました。お客様からの特別注文は、新しいことへの挑戦で勉強になる面と、お客様との確認のやり取りなどで手間がかかって大変なのと両面あるようです。

マルチケースのサイズを、使いやすいように大きくしました。(縦10cm、横20cm、底4.5cm)→こちら

 新しい柄と色の携帯ストラップを試作中です。春には紹介できると思いますのでお楽しみに! →こちら

イドナ村の状況など

 サーディーエさんのお宅に呼ばれてお昼ご飯食べました(年に数回、団体訪問客にご飯を出すのも活動の一環として行っています)。中心スタッフのサーディーエさんとナイーメさんのほか、パソコン仕事を手伝っているモシーラさん、サーディーエさんの他の娘たち、息子のお連れあいさん、私と水本さんで約10人。「女子会」のノリで女性の仕事などいろいろおしゃべりしました。「近くの町ヘブロンでも、女医は3人。女性弁護士はいないと思う(ラマッラーにはいるだろうけれど)」「看護婦さんはいるけれど、結婚で辞めたりするから多くない」「サロン(美容院)は女性の仕事だね」など。

 イスラエルへの労働許可がほとんど出なくなりイドナ村の男性の仕事がほとんどない、という状態が続いていましたが、今回、息子がラマッラーのヨーグルト工場で働いている、週3回だけれどラマッラーのレストランで働いている、などという話を聞きました。(全体でも仕事が増えているのかはわかりません)。イドナからラマッラーへは通常はヘブロンを経由したりと乗り換えが必要でアクセスはよくありませんが、朝だけはイドナからラマッラーへの直通のセルビス(乗り合いタクシー)があるそうです。

 

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投稿日:2011年09月12日(月)
この記事のURL:http://www.paleoli.org/?eid=71