7月22日に国立(カフェれら)でお話会します。

背景がわかる良質な商品をお届けします。

パレスチナ・オリーブでは、素材の質や効能はもちろん、
誰が、どんな状況で、どういう方法で作ったものなのかといった製造背景をクリアにしています。
だから安心。だから美味しい。だから、自信を持ってオススメできる商品ばかりです。

生産者パートナーと協力し、ともに生きる
誰もが大切にされる社会を作っていきます。

パレスチナ・オリーブは、パレスチナ北部のガリラヤ地方(1948年からイスラエル領)のオリーブオイルなどの食品、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)ナーブルスのオリーブ石けん、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)イドナ村の刺繍製品を扱っています。

実際に食べて使って納得したものを輸入し、現地を訪問・交流しながら活動しています。

イベント

『ぜいとぅーん』44号 訪問報告「シンディアナ」

『ぜいとぅーん』44号 2011年2月3日発行

 パレスチナ・オリーブの皆川が年末年始をパレスチナで過ごしました(チュニジアのベンアリ大統領が亡命する直前で、まだ各地に余波?が飛び火する前でした)。パレスチナでは、普段は西暦を使っていても、新年やお祭りは陰暦であるイスラーム暦で祝うので、年末年始はまったく普段通りです。クリスマスは宗派によって12月25日だったり1月7日だったりしますが、街にはクリスマス飾りも見られました。12月24、25日のベツレヘムは久々のにぎわいだったようです(パレスチナ住民の数%がクリスチャンです)。

 この通信を書いている最中も、中東、パレスチナからニュースが飛び込んで来ています。一人一人がのびのびと暮らせる社会を願っています。


 新シーズンのオリーブオイル等の入荷は5月以降です。現在、ザータルの在庫が少なくなっていますが、他の在庫は十分あります。いま出荷中の食品の賞味期限は、2011年12月または2012年1月です。

新シーズンのキャロブの収穫量が地域全体で悪く、キャロブ・シロップが十分には入荷しない予定です(まだ入荷量は未確定です)。

 イドナ女性組合のマルチケースは、使いやすいようにサイズを変更しました(8ページ)。


訪問報告

 2010年12月末〜2011年1月半ばに、パレスチナの生産者を訪問しました。

 「雨期なのに11月、12月は数日しか雨が降らなかった」と聞いていたのですが、私が行ってすぐ年末年始の1週間以上は連日のように雨が降りました。帰る頃には、また減ってしまったのですが(もしや雨女?)。雨が降るといっても通り雨のように降ってはやむので、傘はあまり使われません。十分ではないかもしれませんが、とにかく少しでも雨が降って良かったです。

(この通信では便宜的に、ガザ・ヨルダン川西岸地区のパレスチナ人に対して、イスラエル内のパレスチナ人をアラブ・パレスチナ人と表記しています)。

ガリラヤのシンディアナ

 前回、2010年2月の訪問報告(『ぜいとぅーん』40号)で、ベストチーム!という話を書きましたが、作業チーフのハナーさんが、持病の腰痛が悪化して辞めました。いまは、自宅でときどきネイルアートの仕事をしているそうです。クリスチャンで、おしゃれというか、ときにショッキングピンクやターコイズブルーなど他では見ない大胆な色の服を着ていた彼女の服装を思うとちょっと納得です。

 チーフとしてぱしっと仕切っていたハナーさんも、働き始めた頃はおとなしい感じでした。いまのメンバーからまた新たなチーフが育っていくのだろうと思います。

 今回は、トゥージャーンさんが大きなお腹で働いていましたが、出産で休んだり戻って来たりはよくあります(そのようにできる職場環境にしています)。

 訪問時はみなてきぱきとザータルの瓶詰めをしていました。イルブーン村のナフーレさんのほか、コフル・マンダ村にもザータル(ハーブ)の契約農家を増やすことができました。後述のロハにもザータルを植えました。

 ザータル(ミックス)に入っているゴマはコフル・マンダ村のユーセフさんがつくっています。コフル・マンダ村はもともとゴマの栽培で有名だったそうなのですが、安い輸入ゴマが増えたこともあり、いま育てている人はわずかです(ハーブそのものもミックスもザータルと言います)。

 新シーズンのオリーブオイルの味見もしました。いつも食べているのに、やっぱりおいしい。今年は収穫量の多い表年、地域全体でも量も質もよいとのことです。

ロハ・プロジェクト

 アーラ村郊外のロハ地域のプロジェクト。前回訪問時は灌漑用のパイプをひいている最中でした。その後、3月の「土地の日」イベントのときに、シンディアナやマアンの仲間たちなど約200人が参加してオリーブの木を植えました。

 全体で約3,500本の苗を植え、その後、育ちの良くない100本を植え替えたそうで、2m弱に育ち、枝を伸ばし始めた樹々を見ました。オリーブは、特に最初に水が必要です。同じ頃に近くに植えられた水を使っていないオリーブの苗木も見かけましたが、水を使ったシンディアナの木は、育ち方が全然違いました。特に今年の夏は長く暑かったので。雨期の現在は、水をあげる必要はありません。

 ただ、村の飲料用の水道をひいているので、全体の費用の3分の1が水の代金だそうです。リサイクル水だと半値なのだそうですが。この周辺一帯には帯水層があり、もともと水の豊かな土地で、イスラエル建国前は、小麦やタバコも作られていました。いまも近くにわき水がありますし、地下を掘れば水も出ます。しかし、その利用はイスラエル政府に禁じられているのです。ロハのオリーブ林のため、数キロ離れた村から水道をひくための許可を取るのにも1年かかったそうです。

 アラブ・パレスチナ人が農業で生活していくことはとても難しい状況が続いています。まず、土地や水を奪われました。そして、ユダヤ人の農業には手厚い保護がありますが、アラブ・パレスチナ農民には何の助成もないまま、安い輸入農産物にも市場を奪われていきました(ユダヤ農場で働いていたのは、アラブ・パレスチナ人やヨルダン川西岸地区のパレスチナ人でしたが、近年は外国人労働者の方が多くなっています)。

 ここ数年、パレスチナ・オリーブ向けにオリーブオイルを出荷してくれているアーラ村のムギーラさんは農業の専門家ですが、アラブ・パレスチナ人の農家がこのまま、家族単位でほそぼそと粗放農業をしているだけでは、もう農業がダメになってしまう、なくなってしまうという危機感を強く持っています。このため、彼はロハのプロジェクトに積極的にかかわっています。

 昨年に続き、「土地の日」前後に、ロハでイベントをする予定だそうです。毎年それを続けていきたい、と。パレスチナの春はアネモネなどの野の花にあふれ、とても美しい季節です。丘の上に広がるプロジェクト地に行くには、まず数キロ歩かなくてはなりませんが、すてきなハイキングになるに違いありません。1月はまだ花はありませんでしたが、私も気持ちのいい散歩を楽しみました。

 ところで、そんなに投資してオリーブの木を植えて、オリーブオイルは全部売れるのだろうか?と心配してしまいましたが、シンディアナのマネージャーのハダスさんは「もちろん売る自信がある」との返事。世界不況で一つ一つの団体の注文量は減っているそうですが、積極的に売り先を広げています。でも、私が彼女に「一番難しいことは何?」と訊かれたときに「マーケティング」と答えたら「同じね」と言っていました、、、。

【ロハ・プロジェクト】
イスラエル軍から取り戻した25エーカーの広い土地に、近代的で灌漑したオーガニックのオリーブ林をつくろうと2009年秋に始まったプロジェクト。

【土地の日】
1976年3月30日、ガリラヤ地方の大規模な土地没収が発表され、抗議行動の際にパレスチナ人6人がイスラエル軍に殺されました。毎年3月30日は、土地収奪への抗議と、内外のパレスチナ人の連帯を呼びかける集会やデモが各地で行なわれます。

【マアン】
イスラエル内や東エルサレムのパレスチナ労働者を支援。ガリラヤ地方やワディ・アーラ地方、東エルサレムなど7カ所に事務所を持つ。ガリラヤのシンディアナとの協力団体。

ハイファ事務所とコミュニティガーデン

 2010年4月に、マアンのハイファ事務所を開きました。いま、主としているのはトラック運転手組合の活動ですが、ユースアクティビティなどを担当しているスタッフもいます。4月から働き始めたあるスタッフは「活動が複合的なところがおもしろい」と言っていました。

 11月、この建物の隣に野菜などを育てるコミュニティガーデンを作りました(申請は面倒だったそうです)。「コミュニティガーデン」は地域住民に属し、水を市が提供しますが、市の管理は受けません。ここを人々の出会う場にしていこうというのです。近所の人、トラック運転手、ユースアクティビティに参加している高校生、コフル・マンダのバスケット作りの女性、、、。ハイファ中心部のこの地区は、貧困地域とされていますが、一方、文化の入り交じった地域です。アラブ・パレスチナ人、ヘブライ語の話せないロシア人、ミズラヒーム(東洋系ユダヤ人)。そして(市の「共存」政策のため助成を受けて住んでいる)学生やアーティスト。

 ここで野菜を育てるだけでなく、壁に絵を描いたり、音楽イベントをしたりしています。私が訪問中も、野菜の手入れの他、アーチを付ける予定があったのですが、大雨で中止になって残念でした。

ユースアクティビティ

 マアンでは、高校生が参加する毎週1回のユースミーティングを3ヶ所、不定期では5ヶ所で行っています。あちこちにお知らせを送り興味を持ったところと始めたそうです。

 そのうちの一つ、タムラ村のミーティングに参加しました。村と言っても人口は3万人(ナザレ以外、アラブ・パレスチナの町はすべて行政的には村扱い)。放課後、11人の高校生の男子女子が集まってきました。

 この日は、ボランティアの先生とマアンのスタッフが10枚の紙に一つずつ質問を書いたものを用意していて、紙を取った生徒が最初に答えて、みんなも意見をいう、といった形で2時間ほど行いました。「同じ仕事で女性は男性と同じ賃金をもらえますか?」など、労働問題、組合などわりと固い質問が多かったのですが、高校生たちが熱心に活発に議論しているのに驚きました。次の週に、ハイファのユダヤ人高校生たちと「若者の貧困」について話し合うミーティングがあるので、その準備も兼ねていたのかもしれません。

 ユダヤ人高校生とは6回連続でミーティングをするそうです。「他で、パレスチナ問題で高校生同士が議論したこともあったけれど対立しただけで終わってしまった。今度はまず共通の問題を議論する予定」と。スタッフのサーミヤさんは「(高校生たちの議論を聞いて)ミーティングの帰りはいつも誇らしい気持ちになる」と言っていました。

「ブラック・レイバー」会議

 ガリラヤ地方、ワディ・アーラ地方、ネゲブ地方のアラブ・パレスチナ女性、ミズラヒームやエチオピア系のユダヤ女性、外国人労働者女性たちなど9つの団体が参加して、女性の労働問題を語り、つながりをつくる会議がテルアビブで開かれ、マアンとシンディアナも参加団体であったため、私も聞きにいきました。「女性労働問題」や「外国人労働者問題」を誰かが討議する会ではなく、働く女性たち自身が連帯を求めた集まりです。

 まずは、平日の夜だというのに、会場に入りきれないほど集まった女性たちに圧倒されました。70人くらいの参加者を見込んでいたそうですが、200人前後は来たようです。ほとんどが村に住むアラブ・パレスチナ女性。夜、テルアビブでの会議に参加するというだけでも女性たちには大きなことです。

 司会のアスマさんが「声を持たず低賃金で権利もなく尊厳もない労働を、力強い、希望のある挑戦に変えていこう」と呼びかけた後、6人がそれぞれの体験や団体の活動について話し、その後、会場からの発言がありました。アラビア語、ヘブライ語、アムハラ語(エチオピア公用語)の通訳があり、みんなイヤホンをしっかりつけて熱心に聞いていました。

 印象的だったのは、介護労働者組合をつくった37歳のネパール女性のアンビカさん。ネパールでは先生をしていたという彼女は英語で話をしました。イスラエルで合法的に介護労働をしている人は6万人でその多くが女性だそうです。彼女たちはブローカーに8,000ドル〜10,000ドルを借金して労働許可を得て働きに来ていますが、1年半〜2年間分の給料はただ借金返済に消えてしまいます。また、いま外国人労働者の権利が悪化する法律がクネセト(イスラエル国会)で審議されています(イスラエル最高裁判所でさえ「現代的な奴隷」と呼ぶ移動制限など)。「でも、座って待っていても何も変わらない。組合に参加すると強制送還されるのではないかと恐れる労働者も多いけれど、連帯するのが唯一の道だ」と彼女は呼びかけているそうです。

 また、彼女が3年前にネパールに息子を残してイスラエルに来た話をしたときには、涙ぐんで聞いていたアラブ・パレスチナ女性もいました。

 マアンからは、ワディ・アーラ地域でスタッフをしているワファさんが話しました。彼女の場合、夫が病気で働けなくなったのをきっかけに農場で働き始めました。派遣会社がピンハネし受け取るお金は最低賃金に満たず、社会保障も何もない形態でした。それでも働きに出ることでそれまでと生活が変わったそうです。さらに、ワファさんはマアンを通じて、満額の賃金や労働者の権利を受け取って働くようになりました。その後マアンのスタッフとなり、かつての自分と同じように農場で働く労働者の雇用支援をしています(1990年代以降、それまで働き口であった繊維工場がイスラエルからコストの安い地域に移転し、女性の主な働き口はユダヤ人の農場での労働になっています。しかし、いま、低賃金労働の50%が外国人労働者と言われ、農場労働でもタイなどの外国人労働者が増えています)。

 また、ワファさんは4人の子どものお母さん。「エンパワーメント・ワークショップではみんなと、どうやって夫や子どもと話して家事を分担するか、どうやって家族と建設的な対話をするかなどを話します。それぞれの体験を語り合って笑ったり泣いたり、、、それでみんなのつながりも強まります。同時に、労働者としての自分たちがどうやって闘っていけば良いのかも学びます。」

 その後の会場発言では、何人も女性が手を挙げて自分の経験を話し、時間が足りないくらいでした。

 夜8時半過ぎに会場を出ましたが、共同でチャーターしたバスで、ワディ・アーラ、ハイファに寄って、ナザレ、コフル・マンダ村につく頃には11時。それでも農場で働く女性たちは翌朝5時に仕事に出発です(たいてい農場まで片道1〜2時間かかります)。

 参加後、あるアラブ・パレスチナ女性は「ユダヤ人はみんな金持ちだと思っていた。ユダヤ女性も同じ状況に苦しんでいるとは知らなかった」とマアンのスタッフに話したそうです。

 「ガリラヤのシンディアナ」の事務所倉庫でボトル詰めなどをしている女性たちは、朝8時から夕方4時まで働いて休憩は2回、失業保険・年金なども完備。基本的な権利とはいえ、こんな労働条件で働けるのはここだけ。次回の訪問時には、農場で働いている一般的な女性に同行して朝から晩まで一日過ごしてみたら良いのでは?と提案をもらいました。楽しみです(私は早起きは苦手ですが、7時間の時差のおかげで現地では早く目が覚めるので安心)。

 

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投稿日:2011年09月12日(月)
この記事のURL:http://www.paleoli.org/?eid=70