9月からオリーブ石けんが新しくなりました。

オリーブオイル 石けん サラダ オリーブオイル工場 オリーブの林

背景がわかる良質な商品をお届けします。

パレスチナ・オリーブでは、素材の質や効能はもちろん、
誰が、どんな状況で、どういう方法で作ったものなのかといった製造背景をクリアにしています。
だから安心。だから美味しい。だから、自信を持ってオススメできる商品ばかりです。

生産者パートナーと協力し、ともに生きる
誰もが大切にされる社会を作っていきます。

パレスチナ・オリーブは、パレスチナ北部のガリラヤ地方(1948年からイスラエル領)のオリーブオイルなどの食品、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)ナーブルスのオリーブ石けん、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)イドナ村の刺繍製品を扱っています。

実際に食べて使って納得したものを輸入し、現地を訪問・交流しながら活動しています。

イベント

『ぜいとぅーん』43号 訪問報告
 

シンディアナニュース

 パレスチナはオリーブ収穫の真っ最中です。今年は収穫量の多い表年ですが、それほど多くはないとのことです。オリーブの収穫量の変動は2年周期ですが、表年ごとの収穫量を比べても年によってずいぶん差があります。ここ数年、収穫量が少ないのは雨が少ないことが影響しているのではないかとも言われています。雨だけで育てているパレスチナ農家は、水をふんだんに使っているユダヤ農家よりも天候の影響を受けてしまいます。

 ナーブルス石けん工場のマジュタバさんと11月半ばに電話で話をしたら、「ひと月前に1回雨が降っただけだし、まだ夏みたいだ」と言っていました。

 ところで、10月半ばに、ガリラヤのシンディアナの女性たちが(オリーブオイルのボトル詰めなどコフル・カナ村の倉庫で働いている女性たちと、コフル・マンダ村のかご作りの女性たち)、ナーブルスに日帰り旅行に出かけ、石けん工場も訪問しました。遠出することの少ない女性たちが、みんなで年に1回バスをチャーターして出かけるのは何よりの楽しみです。自分たちでお金を積み立てて旅行資金にしたそうです。これまでも、ジェリコ(世界最古の都市の一つで遺跡や誘惑の山などがある)に出かけ、ジェリコの生産者団体と交流したこともあります。分離壁ができる前は、ガリラヤのパレスチナ人は、ヨルダン川西岸地区北部の町ジェニーンなどに買い物に行くこともよくあったそうですが(車で30分ほど)、現在は行けません。旅行でもあり、交流の機会でもあります。

 イドナ村女性組合のみんなも、年に1回くらい、ジェリコや風光明媚な地域などに、バス旅行に出かけたりしています。


訪問報告

 パレスチナ・オリーブの早尾が、10月末から11月はじめにかけてパレスチナ/イスラエルを訪問しました。

シンディアナのビジターセンター訪問とオリーブ収穫

 大学関係の用務で、初めて行く人たちをさまざまな場所に案内することが主たる仕事だったのですが、今年はじめにオープンした「ガリラヤのシンディアナ」のビジターセンターも訪問しました。センターがあるのは、ハイファとナザレのあいだに位置するコフル・マンダ村です。

 このセンターは、主にイスラエルのユダヤ人と海外からのお客さんに、質の高いカゴ制作の過程を生で見てもらい、アラブ・パレスチナ女性の労働や社会進出について知ってもらうためにつくられました。そしてカゴのほかに、オリーブオイルやオリーブ石けん、ザータル、キャロブ・シロップ、ハチミツなどのさまざまなシンディアナの商品や、それらのギフト詰め合わせなどもきれいに陳列されており、買って帰ることができるようになっています。

 コフル・マンダ村にセンターを開設した理由のひとつは、この村がガリラヤ地方のパレスチナ人の村のなかでも、最も田舎で荒んだところだと見られていたからこそ、かえって挑戦したかったということでした。その村のイメージを変えたい、ここを訪れるユダヤ人のアラブ観を変えたい、そしてイスラエル内のパレスチナ人について知ってもらいたいというわけです。

 ところでこのセンターでは、あらかじめ訪問する日時と人数を伝えて昼食を申し込んでおけば、家庭的なアラブ料理を用意してもらえます(有料)。これもまた女性たちの収入になります。私たちもその昼食に与りました。

 食事のあと、シンディアナの活動概要を説明する10分ほどのDVDを見て、日本にも招いたことのあるサーミヤ・ナーセルさんから簡単な説明がありました。あとご一行は、そこでそれぞれお土産を買っていきました。

 そこから予定外の展開が! カゴ職人の女性の家族が、収穫の時期真っ盛りのオリーブ畑とオリーブ圧搾工場を案内してくれるというのです。11月に入ったばかりのガリラヤは秋に入り二度の雨があったと言い、乾季から雨季に変わりつつあるところでした。僕たちは、わずかな時間だけれどもオリーブ摘みを体験し、またカゴの材料となる剪定したオリーブの細枝拾いを手伝い、さらには隣の畑で生のザータルの葉をかじり、ザータルの生葉はのどがひりつくほど辛いことを知りました。ちなみに、香辛料としてミックスされたザータルは、この葉っぱを乾燥させて細かくしたものに、ゴマや塩などを加えたものですが、辛みはありません。

 畑を離れて、すぐ近くのオリーブ圧搾工場へ歩いて移動しました。この時期は村中のオリーブの実が持ち込まれ、一日24時間休むことなく稼働しています。オリーブの実を満載した車がどんどん工場に入ってきます。

 圧搾工場では、実の洗浄、粉砕、圧搾、そして出てきたオリーブ果汁を遠心分離機で油分と水分に分離させることで、オリーブ油になります。現在では完全にオートメーション化されて、実を入れてからオイルになるまでは、人手は要りません。どんどんと流れ出るできたてのオイルを、小皿にとって味見。その濃い香りと味に一同は感動しました。初めてのパレスチナ訪問で、ここまで体験できるのはよほどの幸運です。

*シンディアナの契約農家のオリーブ林や圧搾工場とは別の場所です。

韓国のパレスチナ連帯運動と交流

 東京のミーダーン〈パレスチナ・対話のための広場〉のメンバーの一人が、韓国に留学しているあいだに、韓国の小さなパレスチナ連帯運動グループ「パルヨンデ」(「パル」はパレスチナの略、「ヨンデ」は連帯)と親しくなりました。そのメンバー二人がちょうど僕の滞在期間と重なるように、初めてパレスチナに行くとのことで、エルサレムで会うことにしました。

 パルヨンデも、パレスチナの手工芸品を輸入して韓国で販売することで日常的につながっていける活動をしたいと考えているとのことで、そうした製品をたくさん集めて売っている「スンブラ」というお店で会いました。スンブラはこれまで西エルサレムの教会のなかにだけあったのですが、今年春、東エルサレムにも店舗をもつことができました。

*スンブラ:ガザ地区、ヨルダン川西岸地区、イスラエル内の18のパレスチナの女性や障がい者団体を支援する地元のフェアトレード団体

 この東エルサレムの新店舗で会って、商品を見ながら、仙台のパレスチナ・オリーブの活動のこと、生産者団体のシンディアナのこと、イドナ村の刺繍製品のことなどを話し、またスンブラの人からもスンブラを通した輸入方法について詳しく話をしてもらいました。パルヨンデの二人は、サンプルとして大きな手提げ袋一つ分ぐらいの工芸品を購入していきました。新しい販売ルートが開拓されるといいですね。

 ところで、このパルヨンデの二人とは、お互いの滞在最終日に、ハイファのアラブ・パレスチナ人街区ワーディー・ニスナースでばったり遭遇。路上で大笑いしました。行くべき場所、考えることは重なるものですね。その街の有名なアラブ菓子屋さんで、僕が案内していた大学関係者と小さなテーブルを囲み、伝統的なお菓子クナーフェとアラブ・コーヒーで、交流のお茶会となりました。

 また話は変わりますが、僕もスンブラで日本の知人らにお土産をと物色すると、センスが良くつくりもしっかりしているので、選ぶのはおのずとイドナ女性組合の製品(パレスチナ・オリーブの生産者パートナー)となってしまいます。パレスチナ・オリーブでも直接仕入れているのですが、帰国してすぐ会う人たちに渡すのに便利かと思って、その場で数点購入しました。

 その後、ヘブロンを訪れた際、ユダヤ人入植者とイスラエル軍兵士のために寂れてしまった旧市街のお土産物屋の押し売りに負けて、二ヶ所のお店でそれぞれ一個ずつ刺繍製品を購入しました。

 それで帰国後、会う人順に、「お土産、好きなのを選んでいいよ」とスンブラで買ったイドナの製品とヘブロンの土産物屋で買ったものを並べて見せると、イドナの製品から先に選ばれていきました。やはりイドナの製品はほかの物とは、刺繍のデザインも縫製も質が違うことを再確認しました。パッと人が見ても分かるものですね。

西エルサレムで働くパレスチナ人

 ところで、今回は大学業務でしかも案内という役割もあり、パレスチナに関わり始めて10年以上を経て、初めて西エルサレム(ユダヤ側)の普通のホテルに泊まりました。これまでは東エルサレム(パレスチナ側)の旧市街内外の格安のホテルかホステルばかりを使っていましたが、今回は、初めての訪問者を泊めるのに使いやすい東のホテルが満室だったため、西になりました。治安情勢が表面的には安定しているため、観光客が戻っていて、ホテルが全般的に混んでいます。

 初めて泊まった西エルサレムのホテルで気がつくことは、まずイスラエルが「併合」を宣言する同じエルサレム市内といえども、西に行けば、24時間ふんだんにお湯が使えて、バスタブにお湯を溜めることもできてしまうことです。ここに大きな差を感じます。東に行けば、「ホテル」と名乗るところでも、水圧は低いし、時間帯によってはお湯にならないこともしばしばですから。

 今回泊まった西エルサレムのホテルは、商業圏から少し入った閑静な住宅街で、イスラエル大統領公邸も近くの場所、西エルサレムの中心部にあります。フロントにいる人は、交代しても必ず、流暢な英語を使いこなすヨーロッパ系のユダヤ人です。

 ところが、翌朝、朝食のバイキングに行くと、給仕さんたちのあいだでアラビア語が話されています。給仕長が、料理の補充やテーブルの片付けを食堂にいる何人かの給仕にアラビア語で指示しているのです。

 そして部屋に戻ると、同じフロアでチェックアウトした部屋などの清掃やベッドメイキングが始まっていたのですが、そのスタッフたちのあいだでもアラビア語が話されているのです。どこから来ているのか聞いてみると、みな東エルサレムのパレスチナ人たちでした。

 アラブの存在を表向きはまったく感じさせない西エルサレムのど真ん中で、しかし確実にパレスチナ人が安価な労働力として階層化されて取り込まれているのを目の当たりにしました。

エルサレムのタクシー運転手

 また、こんな面白い体験もしました。ホテル近くで流しのタクシーを拾ったときのこと。行き先を告げると、運転手がヘブライ語で、「いくら払う?」と聞いてきました。エルサレムのタクシーは、料金が細かくなるのを嫌がって、メーターを倒さず、適当に20〜30シェケル前後で交渉したがります。夜に乗ると高めになりますし、外国人と見るや最初から40シェケルぐらいでふっかけてきます。

 少し距離もあったので、僕は「30シェケル」と言うと、運転手は「前に乗ったときって、昼だったんじゃない?」、と。「いや夜でも30だったよ」と返すと、「40シェケル!」。ここまでのやり取りはヘブライ語だったのですが、数字の言い方などはアラビア語と大差ないことや、僕の言語力が高くないせいもあって、とっさに口をついて出てきたのは、「レーシュ!?(なんで!?)」という地元の口語アラビア語(そのままヘブライ語なら「ラマ?」と聞くところ)。そうしたら運転手が笑いながらアラビア語に切り替えて、「お前はアラビア語を話したから、30でいいよ!」

 つまり、その運転手は東エルサレムのパレスチナ人だったわけですが、エルサレムで仕事をする場合、西側で乗せるお客さんはユダヤ人かそうでなければ外国人であることが多いわけです。運転手がパレスチナ人でも、客にはまずはヘブライ語を使いますし、英語が堪能でない人ならなおさらです(東エルサレムのパレスチナ人は、母語がアラビア語でも、仕事柄、ヘブライ語を完全に使いこなす人が多い)。

 運転手にはパレスチナ人が多いのだろうとは頭では知ってはいましたが、今回たまたま自分の言葉の混乱がきっかけでわかったことは、やっぱりアラビア語を使う人には親しみを覚えているんだなぁ、ということです。そしてホテルの件と合わせて感じたことは、西エルサレムで表面上はアラビア語が聞こえなくなっていても、そこにはよくよく耳を澄ませば確実にアラビア語は存在しているのだということです。

エルサレム余話

 大人気マンガ(テレビアニメも)の荒川弘『鋼の錬金術師』(全27巻、略称「ハガレン」)をご存知でしょうか? 我が家では6歳の子どもがはまってしまい、毎日のように一話一話、読み聞かせをさせられていました。とあるとき、『ユリイカ』という文芸誌の編集部から連絡。「早尾さんは『鋼の錬金術師』って知ってます? 今度完結するのに合わせて、本誌で特集を組むのですが、イシュヴァール内乱をテーマに書いていただきたいのです」とのこと。なんたる偶然!

「ハガレンは毎日音読してます(笑)、子どもにせがまれて。セリフも覚えてます。子どものためにも、この仕事は受けないわけにはいきませんね」。

「そうですか! それはお子さんに感謝しなければなりません。締切は11月はじめなんですが」。

「ああ、もうすぐパレスチナに発って、締切の時期はちょうどパレスチナです。向こうで書いて送りますね」。

 ということで、イシュヴァール内乱と内容的に関連の深い15〜17巻の三冊を子どもから借りて、パレスチナへ。エルサレムでは夜ホテルに戻ると、毎晩ハガレンを読んではイシュヴァール内乱論を。すると、イシュヴァールの民がパレスチナ人に、イシュヴァール殲滅戦をやったアメストリス国がイスラエルに思えてくるではないですか! いやそれどころか、その重なりから、国家というものの本質が透けて見えるようです!

 ともあれ、詳細は読んでください。エルサレムで一気に書き上げたハガレン論。『ユリイカ』2010年12月号「特集:荒川弘」に掲載されています。

 

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投稿日:2011年03月27日(日)
この記事のURL:http://paleoli.org/?eid=66