4月23日甲府で簡単パレスチナお料理教室

背景がわかる良質な商品をお届けします。

パレスチナ・オリーブでは、素材の質や効能はもちろん、
誰が、どんな状況で、どういう方法で作ったものなのかといった製造背景をクリアにしています。
だから安心。だから美味しい。だから、自信を持ってオススメできる商品ばかりです。

生産者パートナーと協力し、ともに生きる
誰もが大切にされる社会を作っていきます。

パレスチナ・オリーブは、パレスチナ北部のガリラヤ地方(1948年からイスラエル領)のオリーブオイルなどの食品、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)ナーブルスのオリーブ石けん、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)イドナ村の刺繍製品を扱っています。

実際に食べて使って納得したものを輸入し、現地を訪問・交流しながら活動しています。

イベント

『ぜいとぅーん』40号 生産者団体訪問など

パレスチナ・オリーブ通信『ぜいとぅーん』40号
2010年3月18日発行

オリーブオイル500cc、キャロブ・シロップ、アーモンドが品切れでご迷惑をおかけして申し訳ありません。

新シーズンのオリーブオイル、ザータル、キャロブ・シロップ、アーモンド、石けんは4月下旬に入荷します。刺繍製品は時々追加で入荷しています。サイトでご確認下さい(インターネット環境にない方はお手数ですが電話等でお問い合わせ下さい)。

訪問記

日程の前半は、スタッフの安達と東京で販売を手伝ってくださっている石田さんと一緒に訪問しました(一部は1月に訪問した早尾の報告です)。

パレスチナはすっかり春。野に咲くポピーの赤色がとても美しい季節でした。本来、パレスチナは東京と同じくらいの気温ですが、25℃を超える日もあるなど例年より暖かく、作物への影響も心配されています。

ヨルダン川西岸地区はイスラエルにコントロールされる占領状況は変わらず、また仕事がないまま物価が上がるなどますます経済的に厳しくなっている反面、中心都市ラマッラー周辺ばかりに新しいお店やレストラン、高層住宅が建設されるなど、不均衡な発展も見られました。

ガリラヤのシンディアナ

*(政治的立場やアイデンティティーにかかわることですが現地の一般的な言い方に従い)ここでアラブ人という場合はイスラエル内のアラブ・パレスチナ人を意味します。

商品情報

ちょうどパレスチナ・オリーブ向けのオリーブオイルをボトル詰めしていました。昨年に引き続き、アーラ村のユーニスさんと仲間たちのオリーブオイルが届きます(違う農家のオイルは混ぜません。生産者団体がオリーブオイルの出荷先を振り分けます)。すっきりとした味わいです。今年の味をお楽しみに!

今シーズン(2009年末収穫)は、ヨルダン川西岸地区のオリーブの収穫が大変に悪く、ヨルダンやトルコから輸入しなければならないような事態になっていますが(原因は花の頃の季節外れの大雨とも言われています)、北に位置するガリラヤ地方は例年通りでした。

ザータルはいつも通りイルブーン村のナフーレさんから届きます。キャロブ(イナゴ豆)は、いつものカウカブ村のほかコフル・カナ村郊外の林から来ました。アーモンドもいつも通りイクサール村から届きます。

オリーブ石けんは、同じときの入荷でも製造日により色が異なりますが、中身は変わりませんのでご了承ください。

ベストチーム

コフル・カナ村の事務所倉庫では、アラブ・パレスチナ女性5人他が「ベストチーム!」と胸を張るチームワークで働いています。

昨年、大学に行く資金を貯めるために働いていたハナーンさんはシンディアナで1年働いた後に希望通りにハイファ大へ進学。以前から働いていたハナーさん、ナーイラさん、トゥージャーンさんの他に、新しくモナさんとヒバさんが加わっていました。一番年下が28歳、年上は40歳で、全員が3〜4人の子どものお母さんです。コフル・カナ村か隣接する町、ナザレに住んでいて、キリスト教徒もイスラーム教徒もいます。ハナーさんがチーフでぴしっとしめています。私と同い年の人も2人いて親近感がわきます。朝ご飯やお昼ご飯を共にし、いつも楽しく話を聞くことができます。

彼女たちの希望で、仕事時間が8:00~16:30から 7:30~16:00に変更されていました。朝早めに出勤して休憩時間に朝ご飯を食べる、という働き方は他のところでもよく見られます。ハイファから通うユダヤ人スタッフのハダスさんとスベトラナさんは6時半に家を出ます。(写真:ハナーさん 撮影:石田さん)

ベストチームに欠かせないのが、フードエンジニアのハーティムさん(アラブ・パレスチナ男性)。コフル・カナ村在住です。4年ほど前から、シンディアナに定期的に来て、食品の品質管理指導をしてきました。最初は、仕事としてのみの関わり方でシンディアナ全体の活動には距離を置いていたそうですが、いまは、運営会議にも参加するようになりました。

プロダクトエンジニアのスベトラナさんも働き始めてもう2年。スベトラナさんは、ソ連崩壊後、反ユダヤ主義が強まった(と言われる)ウクライナから、離婚して娘さんと2人でイスラエルに移住してきました。出荷の管理などをしています。

ハーティムさんやスベトラナさんが加わり、よりきっちりと仕事ができているのがよくわかります。新しい人を巻き込んでいけるのも魅力です。

あだち。の一言
次回の「パレスチナ・オリーブ」向けのオイルがタンクに入って置いてあるのを見て、感動。一方、ボトル詰めの機械やふた締め機械は思いのほか小さくて「大変な手作業だなー」と思いました。また、働いている女性達のいきいきした様子に、私たちが離れていてもひとつながりの仕事をしているとの喜びも感じました。

ビジターセンターのオープン

シンディアナとマアン(イスラエル内と東エルサレムのパレスチナ労働者を支援。シンディアナとの協力団体)の共同事業であるカゴ作りをしているコフル・マンダ村の事務所にビジターセンターがオープンしました。と言っても、部屋の一画にカゴを展示するスペースができたくらいですが、オープニングイベントがありました。各地のマアンのスタッフの他、テルアビブから来たユダヤ系イスラエル人など、全部合わせて約150人が参加しました。

春のうららかな陽気の中で、外にテーブルを出して、村の女性たちがつくったアラブ料理のお昼ごはんはとても美味しかった! そこで、たまたま隣に座っていたのは、テルアビブから来た、プロを目指しているという芸術家(身体表現)のユダヤ系イスラエル人。夫が画家で、「ブレッド&ローズ」(後述)に参加していたそうです。「今までイベントのお誘いメールをもらっても参加してこなかったけれど、カゴなど伝統的なものに興味があるから今回初参加しました。とても素敵、また来たい。」と話していました。普通のユダヤ系イスラエル人は、アラブの村に来ること自体ほとんどないのです。

ご飯の後はリレートーク。「ビジターセンター開設の目的は、ユダヤ人とアラブ人が出会う場を作ること、希望を示すこと。ユダヤ人が直接アラブ人の生産者に会って、バスケットを作る人から直にストーリーを聞くことができる。」

通信でも紹介したことがあるワヒバさんは「始めは生徒でいま教える立場になっていることを誇りに思う。イスラエルや国外から訪問者が来て関心を示し、私たちの経済状況を支援しようとする日が来るとは思いもよらなかった。」と述べました。

さらに、このコフル・マンダの事務所とナザレの事務所で働くサーミヤさん(2002年来日)が「全てのバスケットには、女性たちのサクセスストーリーがある。」と言っていたのが印象的でした。ここでカゴを作ることは、女性たちのエンパワーメントにもなっています(カゴ作りの女性たちだけでなく、村の女性たちが参加できるエンパワーメント講座などもやっています)。

1月にビジターセンターで働き始めたばかりのオスナートさんは「アラブとユダヤの女性が共に座り、共に働き、共に進む、活気あるセンターにしたい。」と抱負を述べました。

スタッフ

もともと、パレスチナの女性の雇用創出を目的の一つにしているので、オリーブオイルをボトル詰めしたり、カゴ作りをしたりしているのは、アラブ・パレスチナの女性たちですが、シンディアナやマアンの運営スタッフには、ユダヤ人もパレスチナ人も男性も女性もいます(圧倒的に女性が多いですが)。「最近は、誰がユダヤ人で誰がアラブ人か気にならなくなってきた。」と言ったスタッフもいます。

そして、この団体の特徴は皆がアラビア語を話すこと。今回、他のところで、長年パレスチナを支援している著名なユダヤ系イスラエル人の活動家と一緒になったのですが、ほとんどアラビア語を話さないことにとても驚きました。私自身、アラビア語はとても下手なので人のことをあれこれ言えないのですが、かかわる中でアラビア語の重要性は感じています。


ロハ・プロジェクト

シンディアナの新プロジェクトが始まります。責任者のナビールさんと娘のマラクさんに案内して頂きました。マラクさんは英文学専攻の学生で、流暢に英語を話していました。

アーラ村の郊外にあるロハ地域。1948年にイスラエルが村人から土地を没収し、軍事演習に使っていました。イスラエル軍が演習に使わなくなり、返還請求の長い裁判を経た後、数年前に返還されました。このうち90ドナム(約8000平方メートル)の土地を利用して、1ドナムに30本、全てで約2700本のオリーブの苗木を植える予定です。きっかけは、ある海外の団体からオリーブの植樹を持ちかけられたことだそうです。しかし、ただ植えるだけでなく、水を使い、数種類のオリーブの樹を植えてオーガニックの林を作り、地域のモデルになるような場所を作りたいという計画です。このあたりは地元種スーリがほとんどなので、病気が流行ったときなどのリスクが高いのです。また、水を使うとオリーブの収穫量は約3倍になりますが、ユダヤ人の農家のオリーブ林は100%灌漑しているのに対し、アラブのオリーブ林はほとんど天水(雨水)のみ、という状況です。

この土地のすぐ近くに、わき水が出ている場所があります。しかし、バケツで水を運ぶのは誰でも自由なのですが、ここからパイプなどを使って水を引くことは禁じられています。このため、数キロ離れたアーラ村からパイプで水を引くしかありません。ちょうどこの工事の最中でした。特に植樹直後には水が必要です。荒れ地からトラクターで石を取り除き(2週間以上かかったそうです)、水を引き苗木を植え、実が取れるのは3年後からです。

【豊富な水】
この周辺一帯には帯水層があり、地下を掘れば水が出ます。しかし、イスラエルではメコロット(イスラエル国営の水会社)が飲み水の90%などを管理。西岸地区など被占領地域と同様、イスラエル内のパレスチナ地域でも水資源を開発することは禁じられています。アーラ村の隣村には昔からの地元の水会社があり、アーラ村も利用しているのですが、イスラエル政府に目をつけられているそうです。

このプロジェクトにはお金がかかるので、シンディアナは資金繰りに苦労しています。

ところで、ロハに向かう途中の原っぱで、ベドウィンが放牧中の約30頭のラクダ、数百頭の羊に出会ってびっくりしました。

ブレッド&ローズ(早尾)

1月にマアン主催の「ブレッド&ローズ」の絵画展示即売会がありました(「ブレッド&ローズ」については通信38号参照)。これは、マアンの活動資金を集めるために、テルアヴィヴの芸術学校の会場提供の協力も得て、一日、絵画の展示販売をするというもの。売買が成立した場合、出品した画家が売り上げ金額の25%を、マアンが75%を受け取る、という仕組みになっています。

2年前に始まり、今年で3回目。知名度がどんどん上がり、作品を売るという貴重な機会として出品したい画家も殺到。今年は限られた展示スペースのために、一画家一作品を原則に審査を行なって、展示品を250点に絞ったとのこと。また、絵画作品を買いたい人たちにも浸透してきて、展示会の前から問い合わせや下見の希望が増え、展示と同時に売買が成立していきました。安い作品で100ドルから、高いのでは5000ドル! 中心は500〜1000ドルぐらいと、けっして安いものではないと思いますが、僕が行った正午の時点ですでに売約済みシールが目立ち、最終的には過半数が売れたとのこと。

その正午からは、開催セレモニー。主催者挨拶、会場の芸術学校長の賛同挨拶のあとに、アラブ女性詩人による詩の朗読とヘブライ語への翻訳の朗読、あるいはユダヤ人文学者の連帯アピールなどがありました。この展示イベントでは画家しか出品できないけれども、ふだんからマアンはさまざまなアーティストとの協力関係をつくっており(ピアニストやラッパーなどが集会でパフォーマンスをすることも!)、その日は関係の深い文学者グループがセレモニーを盛り上げるのに駆けつけてくれたとのこと。

来場者もひっきりなしで、果てはイスラエルの国会議員まで視察に来たとのこと。「何しに来たんだろうね?」とマアンのメンバーに聞くと、「話題になっているから、選挙目当てで自分の姿を見せに来たんじゃないか(笑)」。そのことにも関係しますが、このマアンの活動ですごいなぁと思うのは、出品者の画家も買いにくるお客さんも、そこにはユダヤ人もアラブ人もいますが、その多くはマアンの支持者というわけでもなく、アート・イベントとして成功させてしまうということです。これが労働問題の活動資金集めのイベントであることは、出品者にも来場者にもアピールしており、会場でもマアンのパンフレットを配っていました。アラブ人労働者や外国人労働者の問題に取り組むマアンの活動の重要性を、こうしたイベントによってアピールして、普段は政治問題や労働問題に関心を向けない層にも訴える機会にしながら、そうした層から活動資金を得るというところに感心しました。

ナーブルス石けん工場

注文が少し増えてきたとはいえ、常に週5日仕事がある、という状況にはまだなっておらず、マジュタバさんは営業に励んでいます。マジュタバさんと弟のマヘルさんのほか、以前から働いているサミさん、ジャマールさん、他2人に加えて、ナーブルスに住む新人2人が加わっていました。親族の結婚式の翌日で、事務のスハさんに会えなかったのが残念でした(スハさん以外は男性です)。

工場では、職人さんが黙々と働き、機械の音が響きます。まさに「小さな町工場で世界に誇る品質の製品をつくる」という様子です。

数年前に働き始めたジャマールさんが、マジュタバさんの仕事をじっと見ている場面もありました。マジュタバさんは口では説明しません。

今まで、パスポートなどを示して徒歩で通過していたナーブルス周辺の検問所はすべて乗り合いタクシーなどに乗ったままノーチェックで通り過ぎることができました(一時的な措置だという噂もあります)。

マヘルさんのこと(早尾)

2002年に初めて石けん工場を訪問したときにいっしょに働いていた弟のマヘルさんが、2009年に出稼ぎ先だったドバイから戻ってきてマジュタバさんを手伝って働いています。パレスチナの状況は2000年の第二次インティファーダからどんどん悪化していき、2002年ごろの石けん工場は、イスラエル軍の戦車や装甲車が走り回るなかで扉を締め切ってかろうじて操業をしていました。原料の仕入れや製品の出荷などの物流も軍事検問によって止められてしまい生産が激減。マヘルさんは多くのパレスチナ人と同じように湾岸ドバイへと仕事を求めて移住しました。

伝え聞いてはいましたが、そのあいだにマヘルさんは、ドバイでフィリピンの女性と知り合い、結婚。子どもも2人生まれていました。今回は7年ぶりのマヘルさんも含めて、その家族全員と会うことができましたが、とにかく驚いたのは、7年前にはたったの一言も英語を話すことのなかったマヘルさんが、日常の家庭内共通語として流暢に英語を話していたことです! 髭をはやし、二児の父となり、そして英語。想像を超えたマヘルさんの変化は、ナーブルスの苦難の2000年代を象徴する一方で、そのなかで生きていくパレスチナ人のたくましさを感じさせられました。

ナーブルスの街には、だいぶ人出も戻ってきており、市場も賑わっているように見えました。石けん工場の稼働日も増えてきたからこそ、マヘルさんも戻ってこられたわけですが、マジュタバさんに聞くと、「購買力はまだまだ低いまま」。なお海外(欧米やアジア)へ販売先を積極的に探す一方で、マジュタバさんは、地元パレスチナとアラブ諸国の市場に向けて、今年新しい登録商標「ナーブルス」を取得しました。つまり、石けんの商品名が「ナーブルス」! マジュタバさんは、「石けん職人としての実績が認められたからこそ、登録商標でナーブルスを使う許可が出たんだ」と誇っていました。(写真:マヘルさん一家)

世界不況の影響でドバイのバブルも崩壊。出稼ぎに来ていた多くのパレスチナ人も戻ってきました。「ドバイで働いていたことは良いビジネス経験だと見なされて就職に有利」という話も友人らから聞きましたが実際のところはわかりません。

イドナ村女性組合

エルサレムから地元の交通機関(ミニバスや乗り合いタクシー)を使うと検問所を通り数時間かかりますが、エルサレム在住でイドナ女性組合を立ち上げから支援している水本さんの車に乗せて頂き1時間で着きました。

イドナ村女性組合は、中心スタッフ、刺繍メンバー、縫製メンバー合わせて46人です。スタッフは週5日働き、刺繍のメンバーは家で空いた時間に刺繍をします。これまでイドナ女性組合の中心だったヌハさんは2人目の子どもの出産直後でお休み中でしたが、基本的に週3回で働いています。

通信38号で書いた、メールを送ってくれるムシーラさんに初めてお会いしました。26歳。ヘブロン大学で数学を学び卒業。数学の先生になりたいけれど仕事がありません。高校と大学でコンピューターを学んだそうです。良いモノではありませんが中古のコンピューターが数千円で買えるそうです。女性組合のセンターは電話回線ですが、ムシーラさんの自宅がADSLなので、画像も送れるとのことでした。イドナ女性組合では、顧客別の売上などをエクセルファイルに打ち込んでいました。お母さんのサーディーヤさんは「私は小学校しか出ていないが娘は何でも知っている。いまは勉強をしなければならない時代」と言います。

いままでセンスが良く、刺繍デザインを一手に引き受けてきたヌハさんが子育てでフル回転できない中、他の女性たちも苦心してデザインを始めています。デザインは実際に刺繍してみないと分からないことが多く、試作を重ねて検討しています。ナイーメさんがデザインしたペンケース2種類を次回の通信では紹介できると思います。

売上は、リーマンショック後の2008年末が一番悪かったそうです。いまの課題は、センターの移転です。風通しが悪く湿気が多いなど難点がありますが、女性たちが通いやすく、安く広い場所はなかなか見つかりません。

村の生活

男性たちに仕事がないという状況は変わらないまま、水の価格が2倍になるなど物価が上がっています。村の入口では、雇用創出事業で道路の改修がされていました(道路プロジェクトについては12ページ参照)。

村のガソリンスタンドでは、タイヤがまったく合っていなくて、車体が浮き上がっているスバルの中古車をみかけました。あれこれつぎはぎしているようで、数万円で手に入る車があると聞きました。自動車学校には1000シェケル(約2500円)かかりますが、試験に落ちれば、200シェケル、300シェケルと追加で払うそうです。女性が運転するのはまだ村ではめずらしいですが、ムシーラさんは今年の夏に免許を取りたいと言っていました。

あだち。の一言
村の女性達は、皆スカーフと体を覆う長い服を身につけているのが印象的です。ちょうどある団体からの注文を揃えていて、机の上には刺繍製品がいっぱい。見覚えのあるもの、初めて見るもの、今までのものの素材を変えたもの、ひと工夫したものなど、、、ワクワクです。新しい模様について話し合ったり、こちらの要望を伝えたり、、、。女性達も熱心に話に加わります。とても楽しいひとときでした。

【教育】
何もかも奪われた中で「教育は大事」という認識で、基礎教育はほぼ100%ですが、村やベドウィン地域でも教育の重要性が浸透してきたそうです。しかし大学を出ても仕事がないのが現実。大学の学費は上がっているけれども就職に有利と大学院への進学も増えているそうです。

フェルトの生産者団体
「マアン・リ・ルハヤート」(生活を一緒に/共に生きる、の意味)

スンブラ(後述)の事務局長の山田しらべさんに、ベツレヘムに新しくできた生産者団体を案内して頂きました。

2009年7月にできたばかりの団体で、フェルト製品を作っています。知的・精神障がい者と共に働くスタッフ合わせて約10人と小規模であたたかな雰囲気のところでした。今後、1ヶ月に一人ずつメンバーを増やしていくそうです。パレスチナの障がい児教育や作業所が不十分な中で、働く場は貴重です。みな、とても楽しそうに働いていました。

パレスチナにたくさん羊はいますが、これまでフェルトの製品は作られていませんでした。ラルシェ(フランスの国際NGO)のメンバーでパレスチナに住んでいるピエールさんのアイデアで始まったそうです。いま、刺繍団体は数多くあっても、フェルト団体は一つだけです。

羊の毛は、ベツレヘム近郊の村に住むメンバーのマハさんの家族が飼っている羊のものです。みな、初めての経験なので、最初は作るのはゆっくり。そのため、クリスマスに向けて作って間に合わなかった製品をスンブラから買ってきました(在庫分)。

鳩は限定10個、クリスマス飾り(4個入り)は限定20セット。早い者勝ちです!

  • 鳩 420円(税込)
  • クリスマス飾り 840円(税込)

作り方

羊毛をとる(刈る)。→カーディング:手で機械をぐるぐる回して薄く伸ばす。同時に細かいゴミが落ちる。→色を付ける。(水分が入るので)もう一度カーディング。→お湯につけてから石けんをつけてこする(熱、摩擦、アルカリで縮む)。

一緒にフェルト作り体験もさせてもらいました。見ていたら簡単そうだったのに、やってみたらコツが必要でした!

【スンブラ】
(ガザ地区、ヨルダン川西岸地区、イスラエル内の)18のパレスチナの女性や障がい者の生産者団体を支援する地元のフェアトレード団体。エルサレムにショップを持つ。イドナ女性組合やガリラヤのシンディアナの製品も扱っている。

ベツレヘム

この団体を訪問後、数年ぶりにベツレヘムの街へ寄りました。2000年代前半は、本当にガラガラでしたが、いま、観光客が戻ってきています。でも、1998年頃はもっと多くいました。また、いまは大型バスで来るツアー客が主で、ベツレヘムの小さなお店は素通り。バスが駐車できる大きな店で買い物するのだそうです。(写真:ベツレヘムの街中の分離壁)

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投稿日:2010年04月06日(火)
この記事のURL:http://www.paleoli.org/?eid=51