オリーブオイル石けん サラダ オリーブオイル工場オリーブの林

背景がわかる良質な商品をお届けします。

パレスチナ・オリーブでは、素材の質や効能はもちろん、
誰が、どんな状況で、どういう方法で作ったものなのかといった製造背景をクリアにしています。
だから安心。だから美味しい。だから、自信を持ってオススメできる商品ばかりです。

生産者パートナーと協力し、ともに生きる
誰もが大切にされる社会を作っていきます。

パレスチナ・オリーブは、パレスチナ北部のガリラヤ地方(1948年からイスラエル領)のオリーブオイルなどの食品、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)ナーブルスのオリーブ石けん、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)イドナ村の刺繍製品を扱っています。

実際に食べて使って納得したものを輸入し、現地を訪問・交流しながら活動しています。

イベント

『ぜいとぅーん』63号 ナーブルス石けん工場訪問

『ぜいとぅーん』63号 2018年2月28日発行

品質ピカイチのオリーブ石けん。どうやったら良さが伝わるかな、、、。オススメの動画を教えてもらいました(パレスチナ・オリーブのfacebookでシェアしています)。以下、長女のファラハさんがつくった動画の要約です。途中にマジュタバさんのインタヴューも入っています。

「このオリーブ石けんはナーブルスという町の外交官」

ナーブルスは歴史的にオリーブ石けん製造で有名で、1000年以上前から石けんが作られてきました。ナーブルスは数百万本のオリーブの木に囲まれている町です。ティベーレ家は400年前からずっと、石けん製造を仕事にしてきました。とくに石けんを切る仕事が専門でした。「この石けん工場は、アラブ地域だけでなく世界で一番の石けん工場です。基本のオリーブ石けんに、皮膚のトラブルを解決するのに役立つハーブや他の天然素材を加えています。さらに、モダンな洗練された形にしました。いま、工場ではオリーブ石けんからリキッド・ソープまで100種類以上の石けんを作っています。」工場主であるマジュタバ・ティベーレは、すべての人が自分の好みの石けんを見つけられる種類の石けんを作りたいのです。

マジュタバがその父と一緒に工場で働き始めた時、その石けん工場は小さく素朴な工場でした。しかし、この工場を発展させようと考え始めた時、大きく後退させられるできごとがありました。イスラエルによる軍事占領がひどくなり、また石けん販売の競争も激しくなりました。

「軍事占領は、石けん製造と販売においてひどい痛手でした。ナーブルスから他の町に石けんを運び出すのに少なくても2~4ヶ所の検問所を通り抜けなければいけなかった。1つの検問所に、1時間、2時間とかかるので、運ぶのに1日かかってしまう。外国に輸出するには、ヨルダンに運ばないといけなかった。」「しかし、医者と専門家はデータ結果から、このオリーブ石けんが素晴らしいと確信していたし、顧客も石けんの良さを理解した。」この石けんは、ナーブルスという町の1番の外交官です! 遺跡と歴史の香りがする良い贈り物でみんなが感嘆するのです。

新スタッフ

インダストリアル・エンジニアとして、昨年から働いているワファさんに、ザキーヤさんが加わりました。2人ともナーブルスのナジャハ大学を卒業した若い女性です。工場は職人さんの仕事場で女性が他にいないので二人になって良かった、と思いました。仕事も増えているということ。(品質管理責任者のような立場ですが、秘書的な仕事もしています)。

*パレスチナの大学進学率は高く、男女とも約50%です。卒業をしてもなかなか仕事はないですが。

洗剤製造の終了・機械メンテ

2005年に軍事封鎖が解除となり、いまの石けん工場の場所に5年ぶりに行けるようになった時期、職人さんたちへの仕事を作るためにも、石けん工場は、地元向けに洗剤を作り始めました。爆撃や外出禁止令など長く厳しい軍事占領の後で、高品質な石けんを作っても地元パレスチナには購買力がない、海外に売り込みに行くにも海外に行く許可が取れない、という時期でした。

マジュタバさんは、オリーブ石けんを心から愛していますが、工場のみんなのためには、オリーブ石けんの他にパーム油の石けんも作っていたし、洗剤も作っていたのです。

それが、とうとう洗剤の製造を終了しました。洗剤を作っていた場所は、石けん機械の加工場になっていました! 以前から、マジュタバさんは、石けん製造の機械は自分で設計していましたが、機械の製作・修理は他の工場に頼んでいました。機械の修理で、ラマッラーの工場に張り付いているなど、時間が取られたこともしばしば。それが、自前でできるようになりました。

ファミリービジネス?

石けん工場では、工場主のマジュタさんと兄弟2人、職人さんたち、事務・会計、インダストリアルエンジニアと約20人が働いています。

マジュタバさんの長女のファラハさんはもともとメディア学を勉強したがっていたのですが、マーケティングを勉強して石けん工場で働いて欲しいというお父さんの希望を受け入れて大学に進学しました。ところが「やっぱり面白くなかった」と大学に入ってすぐにメディア学に転部。卒業して、とうとうメディア関連の会社に就職しました! パレスチナの状況から「ジャーナリストになりたい」という子どもたちは多くても仕事にするのは簡単なことではありません。「レポーターになりたい」と言って初志貫徹なところはすごいです。マジュタバさんも「ファラハは(就職活動を)闘い抜いた」と言っていました。

マジュタバさんの弟さんたちは、2000年代、ナーブルスが厳しい軍事占領を受けていたときは、ドバイで働いていましたが、いまナーブルスに戻ってきて石けんを作っています。

マジュタバさんが製造もマネージメントも営業も何もかも抱えていたときに、妹のスハさんが工場で会計や事務を手伝い始めました。マジュタバさんはスハさんが引き続き働いてくれることを願っていましたが、スハさんはなんと自分のプロジェクトを始めました! 前から刺繍が好きだったのですが、ただ刺繍するだけではなく、ユニークなものを作りたい、と仕入れた木箱に刺繍とパレスチナの自然石で作ったタイルを貼り付けたりしていました。いま、家の中に木工の作業場をつくり、自分で木工製品から作っています。刺繍はナーブルスの周辺の村の女性たちがしています。「このプロジェクトは自分のために始めたのではなく、みんなに仕事を作りたいんです」と言っていました。一時期体調を崩し入院もしていたスハさんですが、プロジェクトを始めて生き生きしていると感じました。

石けん工場が中心のようで、それぞれマイペース。商売人? おもしろい家族です。

ジャラーメ検問所

今回、ナザレからジャラーメの検問所を通り、ジェニンを経てナーブルスに行きました。これまでずっと、ガリラヤ地方からナーブルスに行くには、ぐるっと回ってエルサレムまで行って検問所を通り、ラマッラーを経てナーブルスに行っていました。しかし、去年初めて、ユダヤ系イスラエル人運転手のタクシーにで入植者用道路を通り検問所も素通りでナーブルス近郊まで行きました(通信61号参照)。今年は、ナザレのパレスチナ人運転手の小型バスで行きました(自営業で小さな観光バス会社を経営)。ナザレからジェニン、ナーブルスに向かう最短距離(直線)の道路を南下。検問所では、運転手さんが警備の兵士に許可を見せて話しただけでした(兵士なのか、国境警察なのか、委託を受けた民間セキュリティ会社なのか、場所によって違うのでわかりません)。後から地図を見たら、2004、2005年に、シンディアが商品の受け渡しに苦労していたジャラーメの検問所だとわかりました。当時は荷物専用で人は通れない検問所で、しかも、登録した車と人しか検問所の敷地にも入れないということで、シンディアナの仕事についてきていた私は駐車場で待ちぼうけだったのです(通信23号参照)。

そもそも、イスラエルとパレスチナの境界線沿いにある検問所は、パレスチナ側からイスラエル側に出るのが厳しいので今回は逆方向ですし、私たちは外国人だから、というのもあると思いますが、それにしても、分離壁と検問所で厳しく隔てられたのが、またゆるくなる方向にもなっているのか、むしろ(併合されるような形で)一体化してきているのか、これだけではわかりませんが、複雑な気持ちになりました。

こぼれ話:停電

今回、ナザレで早朝に1回、ナーブルスで夜に2回停電になりました。それぞれ数時間、町全体での停電でした。「雨が多いと停電になるんだ」とのこと。電力供給が不十分なのでしょうか。それでも以前に比べれば停電は減りました。真っ暗だし、WiFiは止まるし、、、夕飯に外に出かけるのはやめた方がいいな、と予定を変更したりでしたが、地元のみんなは慣れたもの。ホテルの食堂はそのまま営業を続けたので、夕ご飯を食べ損ねずにすみました。

こぼれ話:季節の屋台

あちこちの路上でイチゴと栗を売っているのを見かけました。なぜ、その組み合わせ?!

寒い中で美味しいのが、ジェニンやナーブルスで見かけた茹でトウモロコシ屋さん。カップに茹でトウモロコシを入れて約10種類のスパイスをあれこれ加えたものをスプーンで食べます。小〜大までサイズがあり、200〜300円で安くないと思いましたが、混雑していました。

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投稿日:2018年06月09日(土)
この記事のURL:http://www.paleoli.org/?eid=269