小田原(10/27)や名古屋(12/1)でお話します!

オリーブオイル石けん サラダ オリーブオイル工場オリーブの林

背景がわかる良質な商品をお届けします。

パレスチナ・オリーブでは、素材の質や効能はもちろん、
誰が、どんな状況で、どういう方法で作ったものなのかといった製造背景をクリアにしています。
だから安心。だから美味しい。だから、自信を持ってオススメできる商品ばかりです。

生産者パートナーと協力し、ともに生きる
誰もが大切にされる社会を作っていきます。

パレスチナ・オリーブは、パレスチナ北部のガリラヤ地方(1948年からイスラエル領)のオリーブオイルなどの食品、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)ナーブルスのオリーブ石けん、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)イドナ村の刺繍製品を扱っています。

実際に食べて使って納得したものを輸入し、現地を訪問・交流しながら活動しています。

イベント

32号(2008年3月8日発行)
  1. 昨年に続き、今年も1月〜3月にオリーブオイルとザータルの品切れが続き、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。4月上旬に入荷予定です。入荷後は注文が重なるため、お届けに時間がかかりますがご了承ください。(注:入荷予定は4月下旬になりました)

    ガリラヤのシンディアナ

    オリーブオイル

    今回は、アーラ村のムギーラさんのオリーブオイルが届きます。一昨年にも日本向けに出荷してくれた農家です。

    今回、契約農家からの生産者団体の買い入れ価格が25%アップし、生産者団体からパレスチナ・オリーブへの出荷価格も値上がりしました。しかし、シンディアナは、安定価格を目指していますし、パレスチナ・オリーブの販売価格は1年間据え置き、様子を見ることにしました。対円だけでなく、対シェケル(イスラエル通貨。パレスチナでも使用)でもドルが大幅に下落していることもあり、生産者団体が安定した出荷価格をつけにくくなっています。

    値上がりの原因の第一は、今シーズンはオリーブの裏作であったこと。オリーブには収穫量の多い表作と少ない裏作が交互にあります(品質に違いはありません)。ガリラヤ地方もヨルダン川西岸地区でも、昨年の収穫量の3分の1と推定されています。

    灌漑をしていないオリーブ林は、より裏作の影響を受けます。灌漑をしているユダヤ農家はあまり影響を受けないのです。イスラエルのオリーブオイル消費は年6%で増え、オリーブの生産を2倍にしようというイスラエル農業省の5カ年計画の最中で、ユダヤ人農家は助成を受けていますが、イスラエルのパレスチナ農家は対象に入っていません。

    値上がりのもう一つの原因は、需要が増加したこと。

    1991年の湾岸戦争前、ガリラヤ地方やヨルダン川西岸地区の余剰オリーブオイルは、ヨルダンを通じて、サウジアラビアなどの湾岸諸国に売られていました。しかし、湾岸戦争でパレスチナ・ヨルダンと湾岸諸国の関係が悪化したため、輸出の道が閉ざされていました。

    一方、イスラエルの大手企業は、パレスチナの農家のオリーブオイルを買いたたいていました。さらに、ヨーロッパから安いオリーブオイルが入ってくるようになり、パレスチナの農家は売り先がなくなっていました。

    しかし、数年前から湾岸諸国への出荷が再開し、また、ヨルダン川西岸地区でも欧米へのフェアトレードが始まってきました。オリーブオイルの需要が伸びてきたのです。また、2005年10月、パレスチナの「オリーブオイル評議会」が設立されました。搾取されないように、イスラエルのオリーブオイル評議会とともに、最低取引価格を決めています。イスラエルとパレスチナで価格に差をつけていません。

    いいニュースのようですが、需要が伸びても、パレスチナの農家は供給を伸ばせていません。今年の価格の上昇は、収穫量の減少をカバーはしません。また、ガリラヤでもヨルダン川西岸地区でも、水の使用が難しく、一般に栽培技術も進歩していないため、収穫量が増えないのです(水を使用すると収穫量は2倍になると言われています)。イスラエル軍によるオリーブ林の破壊も続いています。

    時期によって表向きの情勢が変わっても差別・占領といった枠組みは変わらないこの地域。何が人々の利益なのか、生産者団体と一緒に考えながら続けていきたいと思います。

    ところで、ガリラヤ地方に住むシンディアナのスタッフは、日常的にヨルダン川西岸地区に行くことはできません。イタリアの団体の招聘で、ペルージャでシンディアナのスタッフとパレスチナのオリーブオイル評議会のメンバーが出会う、というような皮肉なことがありました。(「地中海の人々の平和と統合の機会」セミナー。イタリアの団体はパレスチナのオリーブオイルの製造技術向上を支援)

    ザータル

    『ぜいとぅーん』29号でお知らせしました通り、今シーズンから生産者がイルブーン村のナフーレさんに変更になります。最初はエスニックな味が受けいれられないかもしれない、と試しに輸入を始めたザータルでしたが、すっかり定番商品になりました。

    キャロブ・シロップ

    1瓶130g 630円、250本限定

    カウカブ村のムスタファさんが、農薬を使わないで育てているキャロブから作りました。キャロブ・シロップは乾燥した黒いさや(豆も入ったまま)を水に浸けて煮詰めただけのもの。砂糖は加えていません。十分に自然の甘みがあり、見た目と味は黒蜜に似ています。限定入荷で販売して今回で3年目になるキャロブ・シロップ。ファンも増えてきました。パンやヨーグルトにかけてお召し上がりください(8ページ参照)。

    生アーモンド(ドライアーモンド)

    1袋100g 680円、150袋限定(一人5袋まで)

    イクサール村のアーモンドがお試しで入荷します。ローストしていない、乾燥させただけのアーモンドでそのまま食べられます。大きめの実で風味豊かです。「ウンム・ル=ファヘム」というパレスチナの地元種の品種です(「ウンム・ル=ファヘム」という村が停戦ライン近くにあります)。

    水利用の制限のためにアーモンドはオリーブと同様、天水によってのみ栽培していましたが、農家が収穫量を上げていくには、水が不可欠です。イクサール村の人々は、「イクサール灌漑協同組合」を作り、(難癖をつけて断られながら)苦労の末、水を使用する許可を獲得しました。これは、イスラエル内のパレスチナの村では例外的なことです。

    食べ始めるとやめられない、止まらないアーモンドです。ぜひ、お試しください。

    アーモンドはバラ科サクラ属。アジア西南部が原産地と言われています。パレスチナでは、2〜3月に花が咲きます。見た目は桜(ソメイヨシノ)にそっくりです。(逆に日本の桜の写真をパレスチナ人に見せると「アーモンドでしょ?」と言われます。)

    ナツメヤシのかご

    3,150円(22x14cm)〜、限定入荷

    何度か通信でもお知らせしている、シンディアナとマアン(イスラエル内とエルサレムのパレスチナ人労働者のための団体)の共同プロジェクト。シンディアナの商品販売のレベルに達するのは数人です。重量感のあるしっかりしたカゴで大人気。価格の改定で値上がりしています。詳細はお問い合わせ下さい。

    オリーブの枝で編んだカゴは季節が合わず、残念ながら入荷しませんでした。

     

    石けん工場

    オリーブ石けんもオリーブオイルと一緒に入荷します。(手作りのため、毎回微妙に色が異なりますがご了承ください)

    3月初めに電話で状況を聞きました。

    「ガザのように軍事侵攻はひどくなく、日常生活は送ることができている。子どもたちも元気だ。しかし、ガザの状況悪化に合わせて、2008年初頭からヨルダン川西岸地区の検問所の通過が厳しくなっている。今日は、ナーブルス、トゥルカレム、ジェニーンを移動したので疲れた。トゥルカレムの検問所では2時間待たされた。

    今年は、石けんに使うオリーブオイルの価格も2倍になった。検問所のせいで輸送が難しい状況は変わらないし、パレスチナの経済は壊れたまま。顧客は海外に探すしかない状況だ。品質に自信は持っているから、頑張って売ってくれ!!」

     

    イドナ村女性組合

    イドナ村女性組合では、東エルサレムで作っている無漂白の綿布など原材料が値上がりしているため、商品の品揃えや価格の変更が検討されています。パレスチナ・オリーブの現在ある在庫の価格は変更しませんが、今後値上げの可能性があります。

    イドナ女性組合で、製品の責任者であり、新製品の開発なども行なっていたヌハさんが、昨年結婚し、まもなく出産します。出産前までは毎日センターに通う予定だそうです。2年前には自分の夢は「イドナ女性組合を大きくすること」と答えていたヌハさん。小さな団体では個人個人の状況が団体全体にも影響します。ヌハさんに頼ってきたイドナ女性組合のあり方も否応なく変わらざるをえません。

  2. 草の根ニュース

    ガザ地区はどうなっているのか

    この1月下旬、ガザ地区とエジプトとの国境の壁が、パレスチナの武装勢力によって破壊され、封鎖されていたガザ地区から膨大な数のパレスチナ人が自由に国境を往来できる状態になったというニュースが飛び込んできて、驚いたり拍手喝采した人がいたのではないかと思います。(詳しくは解説コーナー)

    しかし、通信を書いている間に、ガザへのイスラエル軍の軍事侵攻が始まりました。2月27日からの5日間で、120人以上のパレスチナ人が殺されています(多数の子どもも含まれています)。

    ガザからジェリーさんの来日

    その封鎖されたガザ地区から、「パレスチナ子どものキャンペーン」や「パレスチナと仙台を結ぶ会」など日本のNGOの支援する、ガザにあるアトファルナろう学校の校長、ジェリー・シャワさんが1月に来日。仙台、東京、大阪で講演会を開き、ガザの状況を生の声で伝えていきました。

    ジェリーさんはパレスチナ人と結婚してガザに暮らして40年。パレスチナとアメリカの両方のパスポートをもっています。しかし、これまで何度も講演活動のために海外に出ようとしてきましたが、イスラエルはこれを拒否。日本での講演会の計画も直前で中止・延期が繰り返されてきました。今回、ようやく来日が実現しました。今年は、息子さんの結婚式がアメリカで予定されているそうですが、出席できないかもしれないと嘆いていました。


    仙台集会参加者、Mさんより

    「もしもこの仙台から一歩も外に出られないとしたら……まわりに分離フェンスが張り巡らされ、外からは食料も薬も入ってこないとしたら……みなさん、想像してみてください」ジェリーさんは、そう話し始めました。ガザのひどい状況を想像することは、仙台に住むわたしにとっても、そう難しくはありませんでした。

    ろう学校のこどもたちの写真も、数々紹介されました。おもちゃを抱えながら耳の診察を受ける小さな子。しかし、補聴器どころか故障した時の替えの商品すら今は入ってこないということが、わたしの気持ちを暗くし、希望のもてないものにしました。同時にまた、万華鏡を覗いて驚く女の子やおもちゃで遊ぶこどもたちの笑顔は、暗い心境の中でわたしをほっとさせるものがありました。

    わたしたちがほんの少しの想像力を動かして、ガザの人々の暮らしを自分たちの暮らしに引き寄せて感じることができたら、本当に何かを変えることができるのだろうか?と大きな疑問を持ちながらも、けれどもそれすらなかったらきっと、何ひとつ変わらないに違いない、と信じずにはいられませんでした。


    西岸地区からファトヒさんの来日

    1月のジェリーさん講演会に先立って、12月には、ヨルダン川西岸地区で隔離壁や検問所などの占領政策を批判するNGO「反アパルトヘイトウォール草の根キャンペーン」のファトヒ・クデイラートさんが来日、仙台も含めて北海道から沖縄まで全国公演ツアーを行ないました(招聘は大阪の「パレスチナの平和を考える会」)。

    ファトヒさんの講演は、おもにヨルダン渓谷地帯という、西岸地区のなかでも、ユダヤ人入植地などのために最も厳しく地元住民が差別・排除されている地域の現状報告でした。この地域には、『ぜいとぅーん』29号で詳しく書いたとおり、日本政府とイスラエル政府による共同開発プロジェクト、「平和と繁栄の回廊」構想が進められつつあります。このプロジェクトは占領の容認であり国際法違反の可能性もあると指摘されています。ファトヒさんは、各地での講演会以外に、国会議員・秘書向けの集会と外務省協議も行ない、この回廊構想に対して地元住民から重大な不満・批判が出ていることを訴えました。

    月刊オルタ07年12月号』で特集「パレスチナ――平和と繁栄の回廊構想」PARC発行

    この問題について、来日時のファトヒさんへのインタヴューなどが掲載されています。日本のODA政策による重大な問題ですが、雑誌の特集としては初めてのものです。

    *一般の書店やパレスチナ・オリーブでご注文下さい。(630円)

     

    解説

    ガザ地区の歴史と近年の状況

    ガザ地区は、地図で見ても明らかなように、ひじょうに狭い地区(東京23区の2/3)に150万人ものパレスチナ人が生活しており、世界一人口密度の高い場所だと言われています。1948年のイスラエル建国によって、パレスチナの各方面から避難民が押し寄せてきたためです。その後ガザ地区は、67年の第三次中東戦争までは事実上エジプトが管理、そして戦争によって、ヨルダン川西岸地区などとともに、イスラエルの占領下におかれました。

    90年代には、西岸地区で現在問題になっている隔離壁の「先行例」として、イスラエルがガザ地区全体を囲い込む感知機能付きのフェンスを設置。150万人の人間が、イスラエルとの境であるエレツ検問所とエジプトとの境であるラファ検問所の2ヶ所だけで管理される、「巨大監獄」となっていました。もちろん領空権も領海権もありません。ごくわずかに許可を受けた労働者と病人のみが検問所の通過を認められるのみでした(以前は数万人認められていた労働者は数千人になりました)。

    そのガザ地区は、厳しい占領支配ゆえに、かえってパレスチナ人の強い抵抗運動を誘発し、とくにハマスの支持基盤となりました。抵抗運動の取り締まりに手を焼いたイスラエル軍は、2005年に軍事基地とユダヤ人入植地を撤去する「一方的撤退」を実施。実のところこれは、占領地支配のメリットとコストを計算してのことでしたし、また、ガザ地区内部から基地と入植地を取り除くだけのことで、隔離フェンスも検問所もそのまま、領空権・領海権がないのもそのままで、巨大監獄であることに変化はありませんでした。

    しかしイスラエルは、世界に対して、「占領の終結」を宣言、自分たちは和平のために痛みをともなう譲歩をしたとアピールを行ない、これでも抵抗運動が終わらないなら、その責任は和平を望まない野蛮なパレスチナ人の側にあるのだ、という論理を展開しました。実際日本の大手メディアも「占領終結」だと「誤報」をしています。

    完全封鎖

    しかし、これで情勢がなんら好転するはずがありません。2006年にハマスは民主的選挙によってパレスチナ自治政府の政権与党になりましたが、イスラエルと国際世界はこれを承認せず、没交渉とし、兵糧攻めを展開。とりわけ密閉されているガザ地区では、またたくまに食糧・燃料・医薬品・建築資材などが不足し、価格も高騰、一般市民の生活が打撃を受けました。「一方的撤退」を主張することで、イスラエルはガザ住民への関与・責任を放棄し、労働者や病人の検問所通過さえも拒否。失業率は最悪の状態となり、また治療を受けられずに亡くなる人も急増しました。

    その間、何度となく、ハマス政権とアッバス大統領擁するファタハとの連立交渉が進展しては、イスラエルやアメリカの介入により挫折。イスラエルとアメリカは、パレスチナ各派の大連立が進展し、統一された強い民族抵抗運動となることを恐れ、ハマス弾圧と同時にファタハへ支援を行ない、内紛を扇動していました。政権奪還を望むファタハの一部がこの扇動に乗ったことで、07年3月にいったん成立した連立内閣は、十分に機能する前に崩壊、対立が激化。連立後にイスラエルが執拗にガザのハマス拠点に対し武力攻撃を重ねたことが、ハマス側の武装蜂起を誘発、6月にガザのファタハ拠点をハマスが制圧したことで、パレスチナにガザ地区のハマス政府と西岸地区のファタハ政府の二つの分裂政権が併存することになってしまいました。

    それ以降、イスラエル軍による空爆と封鎖という「外側からの占領」が続くガザ地区では、もちろん抵抗運動も収まることはありませんでした。とうとう2008年1月18日にイスラエルは、従来の食糧・燃料の運び込みに対する制限だけでなく、医薬品なども含めた支援物資まで全面的に運び込みを禁止し、完全な封鎖状態におくことを宣言しました。

    壁の破壊

    こうした状況が忍耐の限界を超え、1月23日の早朝に、ガザ地区とエジプトとの国境である壁やフェンスが爆破され、パレスチナ人たちは一斉にエジプト側に生活必需品を求めてなだれ込みました。もちろん出入国手続きなしに。一週間のうちにガザ地区を出てエジプトに行って戻ってきた人は、延べ推計で80万人〜100万人。その数字が、ガザの閉塞・困窮の深刻さを表しています。

    親米・親イスラエルのエジプト側が、なだれ込むパレスチナ人たちを許容したのは、エジプトの人々の大半が心情的には親パレスチナであり、またガザの惨状を知っているからです。エジプト政府が軍に即座に弾圧を命じれば、国民の反発を買い国内政情を危うくしてしまいます。パレスチナ人たちが、買い出しや医療のために往来する分には、数日は黙認という態度をとりました。

    とはいえ、エジプト政府としてはイスラエルの顔も立てなければならず、数日をおいてから壁を立て直し、また武装勢力に破壊され、そして数日様子を見て、本腰を入れて壁を再建。およそ元の状態に戻りました。

    そういう意味では、この出来事はパレスチナ人が数十万人単位で国境を突破したという点で画期的であったものの、何か問題が解決したとか、根本的に情勢が変わったとか、そういうことではありませんでした。やはり問題が解決するには、イスラエル社会が変わらなければなりませんし、そのためには日本とアメリカなどの国際社会が変わらなければなりません。一次的に国境が取っ払われても、ただのガス抜きに終わってしまいます。

    ガザ地区は、パレスチナ人や物資が出入りできないだけではなく、一般外国人の立ち入りも禁じられているため、パレスチナ・オリーブのスタッフもここ5年程訪問できないでいます。(早尾)

  3. オススメ新刊本

    イラン・パペ【語り】、ミーダーン〈パレスチナ・対話のための広場〉【編訳】『イラン・パペ、パレスチナを語る――「民族浄化」から「橋渡しのナラティヴ」へ』(つげ書房新社、2008年)2,940円

    イスラエルのユダヤ人としてイスラエルを鋭く批判し続ける歴史家イラン・パペ氏が、2007年春に来日しました。東京の3ヶ所で、それぞれ異なる聴衆層を対象に内容を変えて行なわれたパペ氏の講演と、講演本体以上に充実した質疑応答のすべてを収録しました。丁寧な脚注、地図・年表付きでお買い得です!

    今年2008年は、イスラエルが建国されたことでパレスチナ人の村が破壊され大量の難民が発生した1948年の「ナクバ(大破局)」から60年。その出来事を明確に、「民族浄化」として位置づけることで、ユダヤ人国家建国がいかに意図的な武力行使によってもたらされたのか、そして現在のイスラエル国家の対パレスチナ人政策がいかに差別的・暴力的なものかを、一貫して説明してみせます。「48年に発生し、現在も続く民族浄化」として。

    さらに、パペ氏の講演は、たんなる告発にとどまりません。加害者・被害者の関係性、占領者側の責任を明確にしたうえで、なおパレスチナとイスラエルが和解し今とは異なる枠組みで共存するための歴史教育を、つまり双方を「橋渡し」する歴史認識を提案します。

     

    早尾貴紀『ユダヤとイスラエルのあいだ――民族/国民のアポリア』(青土社、2008年)、2,730円

    パレスチナ・オリーブのスタッフの早尾の単行本、自薦で恐縮です。イスラエル国家が、戦後世界の新しい国民国家として創設されました。しかしそれは同時に、先住パレスチナ人および世界中からの多様なユダヤ教徒や偽ユダヤ教徒を含むモザイク状の移民国家でもありました。単一民族の神話に開き直るのか、パレスチナ人との二民族共存国家を目指すのか、市民権思想に基づく多民族国家となるのか。建国当時から現在にいたる、ユダヤ人思想家たちの矛盾をえぐります。

     

    ジョナサン・ボヤーリン、ダニエル・ボヤーリン『ディアスポラの力』(赤尾光春、早尾貴紀訳、平凡社、2008年)4,410円

    元来のユダヤ教文化は、実は領土的な国家主義とは相反するものでした。離散の地(バビロニア)で発展した聖典タルムードの教えでは、離散を人為的に終わらせユダヤ人国家を建設することも、ユダヤ人が他民族を攻撃・支配することも、ともに神の意思に反する禁忌です。むしろ「異教徒」(ユダヤ人から見た)に囲まれたなかで、自分の宗教文化をひっそりと保持するという、ある種の共存関係を理念とし、それを実践してきたのです。しかし近代のシオニズム、つまりユダヤ人ナショナリズムによって、ユダヤ教は歪められました。国家と国土のために命を捧げて戦うことを厭わない兵士をつくりあげ、そしてそのことによって多様な文化背景を背負うバラバラなユダヤ人移民を国民として統合していったのです。世俗的なユダヤ・ナショナリズムによって、伝統的ユダヤ教が国家宗教に作り替えられたことを詳しく描きます。(早尾)

    * 一般の書店やパレスチナ・オリーブでお買い求め下さい。

  4. お料理コーナー番外編〜キャロブ(いなご豆)〜

    自然食品として日本でもキャロブ・パウダーをよく見かけるようになりました。パンやクッキーなどに使うことが多いようです。カフェインを含まず、ビタミンB1、B2、カルシウムや鉄分、食物繊維が多いなどの特徴があります。

    キャロブ(いなご豆)は地中海原産の常緑樹。夏の終わりに茶色で長さ15cmの堅い実を収穫します。キャロブは、スペインやイタリア(シチリア)、トルコからエジプト、アルジェリアまで地中海沿岸で古代から食されているようです。最近は、アメリカでも栽培されています。

    パレスチナでは、キャロブ・シロップを薬(栄養食品)として使ったり、パンにつけたり、お菓子を作ったりしてきました。タヒーナ(ネリゴマのようなもの)とキャロブ・シロップを混ぜることもあります。これはピーナツバターに似た風味になります。キャロブ・ジュースもあるそうですが、まだ飲んだことがありません、、、。

    「エジプトでは、たぶん乾燥させた豆を挽いたもの(あるいはさやごと砕いたもの?)にお湯を注ぎ、砂糖を加えたお茶があり、見た目も味もそば茶とか麦茶に似ています。エジプトではどこのアフワ(アラブ・カフェ)にでもあるメニューです。」と東京のYさんから教えて頂きました。

    この他、アラブでは、黒っぽい蜜をいろいろ見かけます。ブドウのシロップやナツメヤシのシロップ、さとうきびシロップもあるそうです。

投稿日:2008年03月08日(土)
この記事のURL:http://paleoli.org/?eid=224