9月からオリーブ石けんが新しくなります。

背景がわかる良質な商品をお届けします。

パレスチナ・オリーブでは、素材の質や効能はもちろん、
誰が、どんな状況で、どういう方法で作ったものなのかといった製造背景をクリアにしています。
だから安心。だから美味しい。だから、自信を持ってオススメできる商品ばかりです。

生産者パートナーと協力し、ともに生きる
誰もが大切にされる社会を作っていきます。

パレスチナ・オリーブは、パレスチナ北部のガリラヤ地方(1948年からイスラエル領)のオリーブオイルなどの食品、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)ナーブルスのオリーブ石けん、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)イドナ村の刺繍製品を扱っています。

実際に食べて使って納得したものを輸入し、現地を訪問・交流しながら活動しています。

イベント

『ぜいとぅーん』61号 訪問報告「お二人の感想」

『ぜいとぅーん』61号 2017年3月25日発行

 

佐藤友子さんより:パレスチナを訪ねて

 「パレスチナに行きませんか?」と皆川さんからお誘いをいただいたのは昨年11月のことでした。ちょうどその頃、長年経営してきた小さな食堂をひとまず閉め、しばし充電期間をと計画していました。(パレスチナへ!観光でも研修でもなく、パレスチナ・オリーブの皆川さんの仕事に随行できるなんて!このチャンスを逃してなるものか!)と体力も語学力もないくせに、手を挙げた私。ほんとに申し訳ない位、お二人におんぶに抱っこのお荷物そのものでしたが、心躍る毎日を堪能した私は果報者です。「ぜいとぅーん」でいつも紹介されているイドナ村やナーブルスの石鹸工場、ガリラヤのシンディアナ工場、オリーブ生産者への訪問はもちろん、移動する中で出会う風景や人々は「この地に生きるということ」を私に教えてくれました。

 ひとつひとつが得難い経験で書ききれません。きっと、訪問先の詳細は皆川さんと浅野さんが報告してくださることでしょう。私は、今回の旅で特に印象に残ったことをいくつか書きだしてみます。

 パレスチナがいわゆる旧約・新約聖書の舞台そのものであることにまずは驚きました。イエスキリストの生誕地といわれるベツレヘムは行政権、警察権ともにパレスチナ側が持つA地区で、まさにアラブ(パレスチナ)の町でした。イエスがその生涯の大半を過ごし、大工をしていたというナザレもアラブ人(パレスチナ人)が多く暮らしています。早朝5時から拡声器を通じて生のコーランが流れ、7時には教会の鐘が鳴り響くといった多様で懐の深い都市でした。ナザレにたどり着いたのはたまたま日曜日でした。目抜き通りのほとんどの店のシャッターが下りていました。キリスト教徒にとって日曜は聖日。アラブ人キリスト教徒の人口が多いナザレならではの風景です。イスラム教徒にとっては金曜日、ユダヤ教徒は土曜日が聖日で礼拝ののち家族や親類とご飯を食べる習慣が根付いているそうです。今回の10日間の旅を通じて、生活の中に宗教が溶け合い、信仰が生きていくバックボーンとなっている多くの人々に出会いました。自分の宗教を大切にしているからこそほかの宗教にも寛容になれるのだろうか?日本人には理解が難しい面です。

 こんなことがありました。帰国前日、エルサレムに向かうために自治政府の中心地ラマーラ郊外のカランディア検問所でのことです。この日はたまたま金曜日、検問所はエルサレムのアル=アクサー・モスクに礼拝に行くパレスチナの人々でごった返していました。500人はいたでしょうか。検問所の鉄の回転扉は時々解錠されては数名の人を受け入れます。ほんの少し開いた時に押し入ります。そして、また中で並んで待ち、やっと検問を受けるのですが、持ち物はすべて、身に着けたベルトや靴まで脱いで、身分証明書とともにチェックされるのです。点検するのはイスラエルの兵士(徴兵は18・19歳から男性3年、女性約2年)で、幼い面持ちの若者たちですが、絶大な権力をもっていてとても高圧的でした。金曜日に聖地に礼拝に行くことがこんなに大変だとは!このような光景が毎週反復され、日常に組み込まれている現実を知らされました。信仰深い老若男女がこの検問を通るために1時間でも2時間でも足止めを食うという日常(中には泣きながら引き返す人たちもいました)。私たちも結局2時間近くかけて東エルサレム行きのバスに乗り込んだのでした。一緒に検問を出たパレスチナ男性が「私たちは動物園の動物だ」語った言葉が重かったです。

 また、オリーブ生産者を訪ねたり、ご飯をご馳走になった場所に近い、バカー・ガラビーヤ村の村人専用の検問と分離壁を案内された時の光景が忘れられません。分離壁の巨大さにまず圧倒されました。この巨大な分離壁と検問所が問答無用で設置されたことによってバガー村は分断されてしまい、親せきの家を訪ねる時も仕事に行く時も、買い物に行く時も互いに検問を通らなくてはならなくなったのです。ちょうど夕方だったので仕事を終えた村人が検問所を通って自分の家に帰る時間帯でした。パレスチナとイスラエルの関係が悪化すれば嫌がらせ封鎖もあるという検問所。否応なくパレスチナの人々の生活に組み込まれてしまった醜悪な暴力装置だと思いました。

 こんな風に旅行者ではあるけれどいわゆる観光客とは違って、私が、そこで暮らす人々の日常を垣間見ることができたのは、単なる幸運ではありません。皆川万葉さんという道先案内人が20年もの間誠実に培ってきた信頼関係という樹の下に宿らせてもらえたからでした。20年。20年の間には第二次インティファーダがあり、イラク戦争あり、分離壁建設が強行され、そしてあの、ガザへの軍事侵攻がありました。今回素通りできたナーブルスの検問所も2003年には外国人は通過できず、皆川さんは石鹸工場を訪ねるために山越えをしたそうです。ずっと誠実にパレスチナの人々とかかわってきた皆川さん。パレスチナ・オリーブという事業を我が子と同じように愛しているからこそ、様々な苦労も厭わず続けておられる。

  今回、ナーブルスの石鹸工場主マジュタバさんのご自宅に招待され、温かく手厚いもてなしを受けたのも、イドナ村やシンディアナの事務所でも心づくしのごはんをご馳走になったのも、ホスピタリティマインドの溢れるアラブ文化も然ることながら、大好きな「Mayo」が連れてきた人たちだから。この旅の始めから終わりまで私たちはこの恩恵にあずかったのでありました。きっと、皆川さんは恥ずかしがるに違いないと思いますが書かずにはいられなかったことなので堪えてください。

また、どの町に行っても地元の市場を隈なく巡ったこともとても楽しい経験でした。様々な食材や日用品を通して質素な中にも豊かなコミュニティの存在を感じました。そこで働く人々の姿や客とのやり取りから伝わってくるおおらかでたくましい生活力と厳然として横たわる不条理もまた感じました。

 いろんな思いを持ち帰ってきた旅でした。感謝です。

 

浅野智子さんより

 オリーブオイルは、まず手で温めて、香りを胸にいっぱい吸い込んで、それから口にゆっくりと含むのよ、と誇らしげに彼女はいった。

  薄暗い通路で、老人と孫娘三人が佇んでいた。フェンスと回転式ゲートがいくつも並ぶカランディア検問所でホモサピエンスという動物になる。

 マクルーベを何度もご馳走になった。大きなお皿に湯気を上げ、いつも揚げたカリフラワー入りだ。取り分けるスプーンの音が食卓を賑やかにする。

 回転式ゲートを戻る老人と孫娘たちにすれ違う。孫娘はその大きな目から大粒の涙をいくつも流している。

 車からみる丘陵地のオリーブはいつも岩肌からまばらに生えて、白っぽい石がたくさん転がっている。二月だからかオリーブの葉もどちらかというと茶色を帯びているから、丘陵地は全体的に茶色だ。

 オリーブオイルの加工場も刺繍工房もすこし薄暗い。加工場で女性たちは忙しそうに作業し、そして休憩室に入っていった。女性達が生地の刺繍の善し悪しを見るために陽の当たる入り口に立つと、影が室内に長く伸びる。

 検問所の人混みを見て、不条理を感じると共になぜ列にならないのか、押さなくてもいいのに、と思い、そしてこの不条理なシステムに従順さを求めた自分を嘆かわしく思う。

 ごつごつと堅そうな荒れ地の開墾を讃えるかのように青空が広がる。乾燥した早春の青空は、抜けるような、という形容詞がよく似合う。オリーブの畝を風が吹き抜ける。

 金曜日でモスクに行くのを楽しみにしていたのに通れなかったのが涙の理由らしい。唯一自由な鳩がフェンスに囲まれた明るい通路に並ぶわたしたちにのどかに歌を響かせる。

 少しひんやりする部屋には一差し一差しすすめる刺繍の赤やピンク、グレーの生地が重なり、出番を待つ刺繍糸がやや雑然と積み重なっている。

 この仕事で生活に必要なものが買えるし生き甲斐ができる、と女性たちは笑顔で誇らしげに見える。

検問所でデモに対してイスラエル兵が催涙弾を使ったのが、わたしたちが通過する数日前だと知ったのはその日の夜だった。検問所のまわりにはそのような痕跡も臭いも残っておらず、乾ききっていた。人々がそれを話している様子は遠くのニュースのようだった。

 モスクに行けない幾筋もの涙が理解できずに、ディズニーランドに行けないならわかるけど、と口ごもる。

 アーモンドの花は桜に似ているが、枝につく花は少し少ない。夕陽に照らされたアーモンド畑はすこし霞がかっている。

 検問所ではパレスチナ人の男性がわたしの前だった。茶色のジャケットの合皮の臭い。わたしも人波に揉まれ、そして押した。なぜパレスチナ人を?しかしわたしは確実に押した。

 入植地は日本のニュータウンのように開発される。整然とした区割り、同じような住居が岩肌に聳り立つ。

 スカーフの被り方を尋ねていたら女性たちがスカーフをとって教えてくれた。女性たちの素顔をみて彼女たちも驚き笑い、たくさんのスカーフで部屋は彩りを増している。

 わたしたちのまわり、きっと関東大震災後と引けをとらないくらいの速さで暴力が配備されている。わたしたちが抵抗を試みていること、あるいは飛行機で二時間も飛べば碧い海に恵まれる島で五ヶ月も不当に捕らわれていた人がいることをニュースも報じない。

 ディズニーランドという資本主義を体現した空間にいけない嘆きと、モスクという宗教施設にいけない嘆きの、どちらが奇異か、どちらが心の平安を望めるだろうかと訝ってみる。

 暮れなずむアーモンド畑に「きれいね」と漏らす溜息が乾かぬうちに、そこがキブツだと気づく。もっとあからさまにわたしたちの祖父母は植民地をつくり、そこにも桜を植えただろう。

 回転式ゲートはセキュリティゲートという名前だと今し方知った。オリンピックの名の下にいくつも設置されるに違いない。

 そしてわたしはもう一度押すかも知れない。

 ナブルスの市場は人でごった返し、コーヒーのカルダモンが香る。市場ではいつもニンハオと声をかけられる。

 「どんな世界を見ているのでしょうか」

旅の途中でメールを受け取った。

 

目次に戻る

投稿日:2017年04月28日(金)
この記事のURL:http://paleoli.org/?eid=185