9月からオリーブ石けんが新しくなります。

背景がわかる良質な商品をお届けします。

パレスチナ・オリーブでは、素材の質や効能はもちろん、
誰が、どんな状況で、どういう方法で作ったものなのかといった製造背景をクリアにしています。
だから安心。だから美味しい。だから、自信を持ってオススメできる商品ばかりです。

生産者パートナーと協力し、ともに生きる
誰もが大切にされる社会を作っていきます。

パレスチナ・オリーブは、パレスチナ北部のガリラヤ地方(1948年からイスラエル領)のオリーブオイルなどの食品、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)ナーブルスのオリーブ石けん、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)イドナ村の刺繍製品を扱っています。

実際に食べて使って納得したものを輸入し、現地を訪問・交流しながら活動しています。

イベント

『ぜいとぅーん』61号 訪問報告「ナーブルス石けん工場」

『ぜいとぅーん』61号 2017年3月25日発行

 

 石けん製造は、季節によって乾燥に必要な時間は異なるのですが、最終工程後の乾燥を抜いても数週間の工程なので、訪問時に、何を作っているかはいろいろです。

 今回は、午前中に石けん素地をヌードル状にして、天日干ししていました。数日は雨が降らないと天気予報で確認済み。午後には、隣の工場で洗剤をつくっていました(石けん工場の主力商品はオリーブ石けんですが、地元向けに他の石けんや洗剤も少し作っています)。

 

オリーブ石けんの作り方

1、苛性ソーダを水に溶かし、オリーブオイルとともに(高温にならないように)温めながら、混ぜ合わせる。

2、石けん素地を床に流し込み、生乾きさせる。

3、それを、ペーパー状→太いヌードル状→細いヌードル状と機械で絞り出していく。

*1〜3では材料をよく溶かし、よく混ぜ合わせ、滑らかにする。

4、ヌードル状の石けんを天日干しする(ポロポロになる)。

5、それを機械で棒状の石けんにして、ぴったりの大きさに一つずつカットしていく。

6、刻印すると同時に圧縮する。乾かす。

  伝統的には、床に流し込んで生乾きにし、床に敷いたまま、専用のナイフで1個ずつにカットして乾かすのですが、「それではぴったりの形・重さにはならず国際的な基準には合致しないから、自分たちで工夫していまの方法にした。機械も自分でオーダーして作った」そうです。

 

新スタッフ

 インダストリアル・エンジニアとして1年半働いた品質管理責任者のスアードさんが退職して、後任としてナーブルスに住むワファさんが働いていました(インダストリアル・エンジニアリングは日本語には定訳がないようです。石けん工場の中では、品質管理責任者のような立場)。2012年に大学院を卒業した後、ラマッラーの会社に勤めていましたが、石けん工場に転職しました。ナーブスルからラマッラーに通勤していたとは! ナーブルスのバスターミナルからラマッラーのバスターミナルまで片道1時間程度。家から会社までならもっと時間がかかっていたでしょう。

 石けん工場でインダストリアル・エンジニアの募集をすると(その時によって差はあるけれど)、10人以上が応募してくるので、その中から面接して決めるそうです。この石けん工場では3人連続女性ですが、ふさわしい人材を選んだらたまたま女性が続いただけで、応募者には男性も女性もいた、と言っていました。大学を卒業してもパレスチナ内には仕事がほとんどありません。パレスチナ自治区の大学進学率は約50%です。

 ところで、『ぜいとぅーん』59号でも少し書いた、石けん工場主のマジュタバさんの娘のファラハさん。石けん工場のためにマーケティングを勉強してほしいというお父さんを振り切って、メディア学を専攻しました。いま、通っている大学の放送局に自分の番組を持って、パレスチナ各地の文化などについてレポートしているそうです。「夢だったこと!」と喜んでいました。

 

ナーブルス

 ナーブルスは、2000年〜2004年の第2次インティファーダの時には、イスラエル軍によって政治的にも経済的にも徹底的に破壊されました。自治政府の中心地になっているラマッラーに比べると、一時期は、衰退しているように感じたナーブルスですが、活気を取り戻しているように感じました。イスラエルの占領の構造も変わらず(むしろ悪化している)、仕事がないなどの経済の状況も変わらない。そのことと見た目の町の賑わいは一致せず、不思議な感じもします。若年人口が多いためでしょうか。

 

バラータ難民キャンプ

 ナーブルスの中心部から郊外の石けん工場に行くときに乗ったタクシーの運転手さん。「ナーブルスで働いているのか?」など聞いてきたので(下手でもアラビア語を話すとどこでも似たような質問をされます)、自分のことを話したあと、「あなたはナーブスルに住んでいるのですか?」と訊いたら、ほんの一瞬間が空いて「バラータ」という返事。「バラータ難民キャンプ?」「そう」。「最近どう?イスラエル軍来る?」「毎晩来るよ」と話しているうちに「イスラエルの刑務所に4年間入っていたんだ」と話してきました。約15年前の第2次インティファーダの頃のようで「(若い男性は)みんな捕まっていたよ」と。

 一見、普通の暮らしのようで、普通じゃない日常が垣間見える瞬間です。そして、夜間捜索・逮捕はいまも日常的にあります。2017年2月にイスラエル軍に逮捕されたパレスチナ人は、未成年・女性含めて約450人。一方、パレスチナ自治政府によるパレスチナ人の逮捕者は、2月は約100人でした(政府批判をすると捕まる)。

 

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投稿日:2017年04月28日(金)
この記事のURL:http://paleoli.org/?eid=182