9月からオリーブ石けんが新しくなりました。

オリーブオイル 石けん サラダ オリーブオイル工場 オリーブの林

背景がわかる良質な商品をお届けします。

パレスチナ・オリーブでは、素材の質や効能はもちろん、
誰が、どんな状況で、どういう方法で作ったものなのかといった製造背景をクリアにしています。
だから安心。だから美味しい。だから、自信を持ってオススメできる商品ばかりです。

生産者パートナーと協力し、ともに生きる
誰もが大切にされる社会を作っていきます。

パレスチナ・オリーブは、パレスチナ北部のガリラヤ地方(1948年からイスラエル領)のオリーブオイルなどの食品、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)ナーブルスのオリーブ石けん、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)イドナ村の刺繍製品を扱っています。

実際に食べて使って納得したものを輸入し、現地を訪問・交流しながら活動しています。

イベント

『ぜいとぅーん』61号 訪問報告「ガリラヤのシンディアナ」

『ぜいとぅーん』61号 2017年3月25日発行

 2月下旬にパレスチナの生産者を訪問しました。地図と交通はこちら

 今回は取扱店の皆様にお声がけし、HCCグループの浅野智子さん、キッチン・ハリーナの佐藤友子さんと一緒に訪問しました。お二人の感想もこの通信の最後に載せています。

 シンディアナの事務所は、ナザレに近いコフル・カナ村にあります(聖書の「カナの奇跡」の場所です)。

次のオリーブオイルのボトル詰めはちょうどパレスチナ・オリーブの番だったのですが、まだ準備が整っておらず、訪問時は、お掃除&片付け中でした。

 

ボトリングの流れ

 オリーブオイルのタンク→ボトル詰め機械→ふた閉め機械→手作業でボトルを綺麗に拭く→キャップカバー+ラベル貼り機械→ダンボールに詰める」

 ただし、ベルトコンベアーで無人で進むわけでは全くなく、それぞれの機械の前に女性たちがいて、ボトルを置いたり、機械を動かしたりします。瓶詰め、パック詰めだけでなく、あれこれ運んだり、倉庫の作業はなかなかの重労働ですが、しっかりとした労働条件と給料なので、たいてい長く働いています(若い人は、高校卒業後に働いてお金をためて大学に行ったり、結婚・出産があったりで、数年の人が多いですが)。

 いつも会うモナさん、アイーシャさん、ワフィーエさん、ナーシラさん、シュリーンさんのほか、最近働き始めたニスリーンさんに初めてお会いしました。みな、コフル・カナ村に住むアラフォー世代の女性たちです。お土産に日本からお菓子を持って行ったら、翌日、自家製のオリーブの塩漬けを持ってきてくれました!

 

専門家、品質管理

 オリーブの栽培の専門家のアベッドさんやユーニスさん、食品の品質管理のハーテムさん、オリーブオイルの味の専門家のエフードさんに加えて、ドローンさんが作業工程全体のマネージメント担当になりました。「ガリラヤのシンディアナ」ができて約20年。女性たち仕事や活動も充実してきていますが、最高のオリーブオイルを作るためのプロフェッショナルチーム(?!)もますます発展しています。

 

圧搾工場

 上記のように専門家が揃ってきたので、オリーブオイルの圧搾工場もさらに良くなりました。以前は、イクサール村の圧搾工場と契約して利用していたのですが、3年前にエフードさんがコンサルして、(アベッドさんが住んでいる)デイル・ハンナ村に新しく圧搾工場を作りました。ドローンさんの指導で、さらに美味しく品質の良いオリーブオイルを圧搾するための改善を行いました。

 

オリーブ林

 今回は、シンディアナのプロジェクト林のロハ地区に行き、栽培責任者のナビールさんに案内してもらいました。ロハはアーラ村に隣接しています。イスラエル軍から土地を取り戻し、2009年にみんなで整地し灌漑用のホースを引き、2010年にオリーブの苗を植樹しました。

 冬には枝の剪定をします。2週間前に剪定した枝を細かくチップにして、オリーブの木の周りに敷いていました。地面から水分が蒸発するのを防ぐためだそうです(4月中旬〜10月中旬には雨が一滴も降りません)。また、春からは虫が出てきます。主にオリーブミバエなど3種類の害虫がいるので、どれが多いか見て対策をとるために木に取り付るハエ取り紙のようなものや、虫を捕まえる液を入れる容器などを見せてもらいました。

 近代的な農業、持続可能な農業のモデルとなるオリーブ林です。パレスチナの農場でもそれが可能だと示すことは大事です。

 

ビジターセンター

 オープンして1年半の「ガリラヤのシンディアナ」のビジターセンター。商品を買えるだけでなく、オリーブオイルのテイスティングをしたり、シンディアナの活動を聞いたり、ワークショップに参加したりできるセンターです。

 ところで、新しいレジを導入したのですが、まだ使い方に慣れず、精算に時間にかかっていました。翌日50人の訪問客があるというので心配でしたが「明日は古いレジを使う」と言っていました。ばっちり整えているようで何か抜けているのが微笑ましいです。  センターの新スタッフは働いて5ヶ月になるナディアさん。旅行会社で働いた経験があり、語学が堪能です。パレスチナの村の出身ですが、いま、ナザレ・イリットに住んでいると言うので驚きました。

 

ナザレ・イリット(上ナザレ)

 ナザレは、イスラエル内で、唯一のパレスチナ人の町です(行政的に「市」)。ハイファやアッカ、ヤーファの街にもパレスチナ人が住み続けていますが、だんだん追いやられて少数派です。ヤーファは行政的にはテルアビブに統合されています。他のパレスチナの村々は行政的には「村」ですが、大きい「村」の人口は5万人もあったりします(ちなみに日本は人口5万人が「市」の条件です)。

 ナザレ・イリットは、1957年にナザレの土地を奪って作られたユダヤ人の街です。現在の人口は約4万人。

 しかし、いま、ナザレ・イリットの人口の20%がパレスチナ人だというのです。ナザレに住みきれない人が、ナザレ・イリットに移ってきています。人口増加に対して、ナザレの街は拡大できないでいるのです(村でも市でも人口が増え、自然と拡大したいところですが、村や町の周辺部に家を建てると「違法建築」でイスラエル政府に取り壊されてしまいます)。ナザレから奪った土地に、ユダヤ人の町ナザレ・イリットが作られ、いま、ナザレ・イリットのパレスチナ住民の人口が増えている。「皮肉だね」とナザレに住む知人も言っていました。

 

ナザレ・イリットのパレスチナ人

 今回、ナディアさんが家に招いてくれて、私は初めてナザレ・イリットに行きました。様子をいろいろ教えてもらいました。

 一番の問題は、学校だそうです。以前は、ナザレ・イリットに住むパレスチナ人は、ナザレの学校に通っていました。でも、ナザレの朝夕はいつも大渋滞(周辺の村からナザレに働きに来る人と、ナザレからエルサレム、テルアビブなどの町に働きに行く人の両方向で混む)。毎朝、子どもを学校に送るのに1時間もかけていられません。ナザレ・イリットの学校にパレスチナ人の子どもたちも増えてきました。さらに、ナディアさんは子どもの頃からユダヤ人と共に学ぶのもいいかもしれない、と考えて、娘たちナザレ・イリットの学校に行かせたそうです。ただ、言葉のことを考えると、ナザレ・イリットの学校に行かせたのは失敗だった、と言っていました。

 イスラエル内のパレスチナの村や町では、小中高は地元の学校に行き、アラビア語で授業を受けられますが、ナザレ・イリットの学校では当然、ヘブライ語での授業になります。

 しかも、ナディアさんはパレスチナ人ですが、夫はカタルーニャ人(スペイン)です。いまは、ナディアさんもカタルーニャ語がわかるし、夫もアラビア語ができるそうですが、出会った頃は二人ともヘブライ語で会話していたそうで、いまも家の中の会話がヘブライ語になりがち。娘たちは、アラビア語で訊かれても、ついヘブライ語で返事をすることがある、と言っていました。

 

ショッピングモール

 夜にナザレ・イリットの大きなショッピングモールに連れて行ってもらったら、、、パレスチナ人のお客さんだらけでした。「ユダヤ人」は人種ではないので、パレスチナ人と見た目で区別はつきませんが、スカーフをかぶった女性たちはイスラーム教徒のパレスチナ人でしょう(パレスチナ人にはクリスチャンもいます)。ナザレの小さな商店、市場と比べて品揃えが豊富、いっぺんに買い物が済む、そういうことが理由のようです。店員さんにもパレスチナ人が多いです(これは他のユダヤ人の街でもよくあります)。

 

日本のアニメ好き

 ところで、ナディアさんの中学生の娘さんは大の日本アニメ好き。「こんにちは」「ありがとう」だけでなく、「かっこいいですね」なんて日本語でイントネーションも発音も綺麗に話しました。少し照れながら話すのが可愛すぎでした。

 日本のアニメは海外版ではタイトルが変更になっていることが多く、「何が好き?」と聞いても伝わりにくいことが多いのですが。たまたま京都の話題になったとき「『ぬらりひょんの孫』を知っている?」と聞いたら、最初はわからなかったけれど、すぐに検索して(!)絵を見たら「知っている。でも、これはそんなに好きじゃない」と言っていました。ぬらりひょんの孫、放送されているんですね(妖怪の話です)。

 日本のアニメはアラブ諸国でも数多く放送されています。いまどきの日本アニメを、パレスチナ人も見ているし、イスラエル人も見ています。昨年西エルサレム(イスラエル側)で開かれたアニメファンのイベントのニュース写真を見たら「犬夜叉」のコスプレの人がいたり、「刀剣」の手作り販売がされていたりしていました。

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投稿日:2017年04月28日(金)
この記事のURL:http://www.paleoli.org/?eid=180