9月からオリーブ石けんが新しくなりました。

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背景がわかる良質な商品をお届けします。

パレスチナ・オリーブでは、素材の質や効能はもちろん、
誰が、どんな状況で、どういう方法で作ったものなのかといった製造背景をクリアにしています。
だから安心。だから美味しい。だから、自信を持ってオススメできる商品ばかりです。

生産者パートナーと協力し、ともに生きる
誰もが大切にされる社会を作っていきます。

パレスチナ・オリーブは、パレスチナ北部のガリラヤ地方(1948年からイスラエル領)のオリーブオイルなどの食品、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)ナーブルスのオリーブ石けん、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)イドナ村の刺繍製品を扱っています。

実際に食べて使って納得したものを輸入し、現地を訪問・交流しながら活動しています。

イベント

「ガリラヤのシンディアナ」がオリーブオイルと、アラブ−イスラエルの平和を広める、その方法とは

フォーブス(アメリカの経済誌)2016年8月1日号より

「『ガリラヤのシンディアナ』がオリーブオイルと、アラブ−イスラエル(訳注1)の平和を広める、その方法とは」
Robin D. Schatz

原文

 

 古代からオリーブオイルの枝は、平和、勝利と浄化のシンボルとして扱われてきました。そのことからも、オリーブオイルが、課題の多い中東に変化をもたらす力を持っていると考えることはさほど難しい事ではありません。

間違いなく、これは、社会活動家であるハダス・ラハブの望みであり、信念でもあります。彼女は、イスラエル北部で女性により運営されている、アラブ−イスラエル社会派企業の最高経営責任者です。その会社は、1997年に創立された非営利企業で、15人いるスタッフは、アラブ系とイスラエル系が平等に同人数ずつ、高品質でフェアトレードのエキストラバージンオリーブオイル(ほとんどがオーガニックで、地元のアラブ系農家で栽培されたオリーブを使用)の販売をしています。

 昨年、シンディアナは、70トンものオリーブオイルや、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)ナーブルスで作られた、なめらかで香り高いオリーブ石鹸、手工芸品、ハーブやスパイスなどの販売で、100万ドルの売り上げを達成しました。その利益は、アラブ女性の地位確立のため、シンディアナの経済、社会、教育関係のプロジェクトを支えています。

 自分たちのミッションを達成し、運営を確立するために、ラハブと、彼女の共同設立者たちは、様々な方面から協力してくれる、専門知識を持った農学者、食品技術者、販売者などを探し求めました。この、小規模だが成長を続ける組織を運営するために、アラブ系女性とイスラエル系女性たちが共に作り上げた強力な土台は、シンディアナの成功には不可欠なものでした。

 「アラブ人パートナー達がいなければ、私たちはここまで来ることが出来ませんでした」と、何十年にもわたりアラブ女性とその子供たちの支援を続けている社会活動家のラハブは言います。彼女は、1992年、ガリラヤ地方北部のマジダ・ル・クルム村で、パレスティナ人のアイデンティティを保護するための、アル・バカー・センターの始動を手助けしました。また、アラブ女性たちが、その子供たちの宿題を手伝うことが出来るように教育する、母親学校の共同設立者でもあります。1995年には、アラブ教育の危機と、その母親学校の取り組みについての本を執筆しています。

 約20年間、シンディアナが、イスラエル、日本、ヨーロッパなどに集中した販売で着実に成長を遂げる一方、今年初めて、アメリカ市場に大きな一歩を踏み出しました。

 賞を授与されるほど高品質なシンディアナのオリーブオイルは、他のオーガニック、フェアトレードブランドとしのぎを削り、限定的ではありますが、Whole Foods社の北東エリアで販売されています。

 今年の夏の始め、私は、Summer Fancy Food Showで、ラハブに会いました。そこで彼女は、アメリカの小売業者、卸売業者らと交流し、シンディアナのストーリーをより広く知ってもらおうと試みました。私たちはそれ以降も、引き続き電子メールで連絡をとりあっていました。食品業界の多くの企業にとってとても重要なイベントであるその見本市は、アメリカでシンディアナの知名度を高めることに大きく貢献しました。そして彼女は、「これは、新たな販路の獲得につながるだろう」と話していました。

 シンディアナは、銀行ローンを得てスタートしましたが、それは5年で返済を完了した、とラハブは話していました。それ以来、会社は自立した状態を維持しています。シンディアナは、輸出業者を手助けしてくれる、イスラエル輸出協会を通して、イスラエル政府から支援を受けています。それに加え、アラブ−イスラエル輸出業者を支援する非政府団体からの援助も受けています。

 キブツ(イスラエル農村共同体)で生まれたラハブは、1973年のヨム・キプール戦争(第4次中東戦争)後に成人になりました。ホロコースト・サバイバー(生存者)である父と、イスラエル人の母(註2)を持つ彼女は、平和は単に「可能」なものではなく、「絶対になくてはならないもの」であるという信念を持ち成長しました。「私と友人たちは、『隣人たちと協力し合うすべを見つけなければ、平穏な場所に住むことはできない』という結論に達したのです」と彼女は話してくれました。「それに、ユダヤ人コミュニティーとも手を取り合って行かなければ、アラブ人はイスラエルに住むことはできないと思う」とも話していました。

 そして、彼女はこう信じていました−アラブとイスラエルの真の良い関係は、アラブ系住民への経済的機会なくしては、成し遂げることが出来ない−。貧しいアラブの村にはほとんど産業がありませんが、全ての家に、少なくとも数本のオリーブの木があります。

 アラブ人コミュニティーにおいて、オリーブ農業を近代化させ、最上級のオイルを生産することにより、地元経済を元気づけ、雇用機会の少ないアラブ人女性に手を差し伸べることが出来る、ラハブと共同設立者たちは、そう考えています。ラハブはオリーブ農業やオイル生産については全くの素人でしたが、彼女の、アラブ人の友人であり、共同設立者でもあるアベッド・アル・マジド・フセインは、ドイツで学んだ農業の専門知識を持っていました。彼は、自分の家族が持っているオリーブ畑をシンディアナのために、オーガニック認定に転向し、他の農家も有機栽培できるように手助けしました。

 昨年、シンディアナは、イスラエル北部のコフル・カナ村にビジターセンターをオープンしました。その地は、「ヨハネによる福音書」の中で、イエスキリストが水をワインに変えたと伝えられることで有名な「ガリラヤのカナ」としてイスラエル北部に位置しています。多くの旅行者たちが素通りしてしまい、イスラエル人にもあまり知られていないこの地域の観光業に貢献する事が、このセンターの目的でした。そのため、意図的に、ナザレとティベリアの間にある道に建てられています。

 そのビジターセンターでは、シンディアナは、アラブ人とイスラエル人女性のためのバスケット編みのワークショップを開き、観光客がオリーブオイルの試食をすることもできます。アラブ人女性たちは、地元アラブ人女性が作る手工芸品やシンディアナの商品を販売するそのセンターの運営の担い手となっています。数百人ものアラブ人女性たちがシンディアナが提供してくれた教育、雇用機会により、直接的な恩恵を受けています。そして、アラブ人女性とイスラエル人女性たちは強い絆と友情を築き上げてきました。更に、イスラエル全土だけでなく、世界各地から、シンディアナのオリーブの収穫を手伝いにやって来ています。
 私はラハブに、これまでシンディアナが、アラブ-イスラエル間の平和(と言っても、当然そう簡単に説明できるものではありませんが)にもたらした影響について聞いてみました。(私たちの会話の後、ウェブ上でコフル・カナを検索してみたところ、2014年、イスラエル警官が、22歳のカイル・アッディーン・ハマダーンに向けて、命に関わる発砲をしたことにより、抗議と暴動が起きたというニュースを目にしました)(訳注3)

 ラハブは私に、私の質問は間違っていると言いました。そしてもっと重要なのは、「もし私たちがいなかったら、一体どうなっていたか」である、と続けました。

 「もし、ガリラヤのシンディアナのような組織が存在しなければ、事態はより悪化していたでしょう。今はまだ夢で願っている様な感じですが、世界のすべての変革は、ある一つのアイディアから始まり、それは一つの夢でもあったのです」そう彼女は話してくれました。

 

訳注1:違和感なく読めるように「アラブーイスラエル」としたが、正確には「アラブ人ーイスラエル人」。以後、同様。また、この文章ではアラブ人=イスラエル国籍のパレスチナ人、イスラエル人=ユダヤ系イスラエル人(イスラエル国籍のユダヤ人)。イスラエル国内では、パレスチナ人は「アラブ」と呼ばれることが多い。

訳注2:ここで記者は「イスラエル人」と書いているが、ハダスの年齢からして、母親は委任統治領パレスチナ生まれだと思われる(祖父母が20世紀前半にヨーロッパから委任統治領パレスチナに移住)。

訳注3:この射殺に対する抗議デモで、シンディアナで働く女性の弟(14歳)も逮捕されました。参照、『ぜいとぅーん』56号

(翻訳:オールライト千栄美、訳注:皆川万葉)

投稿日:2016年11月29日(火)
この記事のURL:http://paleoli.org/?eid=164