9月からオリーブ石けんが新しくなりました。

オリーブオイル 石けん サラダ オリーブオイル工場 オリーブの林

背景がわかる良質な商品をお届けします。

パレスチナ・オリーブでは、素材の質や効能はもちろん、
誰が、どんな状況で、どういう方法で作ったものなのかといった製造背景をクリアにしています。
だから安心。だから美味しい。だから、自信を持ってオススメできる商品ばかりです。

生産者パートナーと協力し、ともに生きる
誰もが大切にされる社会を作っていきます。

パレスチナ・オリーブは、パレスチナ北部のガリラヤ地方(1948年からイスラエル領)のオリーブオイルなどの食品、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)ナーブルスのオリーブ石けん、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)イドナ村の刺繍製品を扱っています。

実際に食べて使って納得したものを輸入し、現地を訪問・交流しながら活動しています。

イベント

『ぜいとぅーん』59号 訪問報告「ナーブルス石けん工場」

『ぜいとぅーん』59号 2016年6月17日発行

 この1年は、世界経済の停滞の影響か、注文が減っている、と言っていました。「10年前と比べれば売り上げは大きくなっているけれど、前年よりは悪い」「工場の生産能力からすると、稼働率は10%以下」とのこと(工場が大きすぎ、とも言えますが、、、)

 工場主のマジュタバさんの家系は、代々、石けんの職人ですが、お父さんの代まではナーブルス中心部にある小さな工場で作っていました。それを引き継いで発展させ、ナーブルス郊外に工場をつくったのが2000年。ところが、直後からイスラエルの軍事侵攻が激しくなり、石けん工場は軍事封鎖地域になってしまいました。7年間工場に行くことができず、その間は、小さな倉庫を間借りして、より良い石けんの開発に努めていました。2007年から新しい工場に移りましたが、そこも手狭になり、2013年に隣の敷地に大きい工場を作りました。いま、品質が認められ、世界各国に売り先を広げています。

 それでも、昨年は週に5日製造できたけれど、今年は平日もときどき休み、そんな状況です。

新スタッフ

 品質管理責任者のナダさんが辞めたため、スアードさんが後任として働いていました。24歳の女性。ナーブルスにあるナジャハ大学を卒業後1年間、「仕事がなくて毎日寝ていた」ところ、石けん工場の仕事があって働き始めて3ヶ月。ナーブスル近郊の村に住み、他の職人さんたちと同様、車で拾ってもらい乗り合わせて通勤しています。「仕事はおもしろい。でも、石けん工場で働いている女性が一人だけなのは難点」とのこと。 石けんづくりの職人さんは男性ばかりです。事務方の人たちもほぼ男性で、ほかにマジュタバさんの妹のスハさんがいるのですが、毎日は仕事に来ないそうです。

  「9月から大学院に行きたいなあ」なんてことも言っていました。「9月に車の免許を取りたい」「いつの日か、海外に行ってみたい」という話もしていたので、願望・憧れなのでしょうか。工場としては、長く働いて欲しいのですが、彼女としては、収入が得られるようになったので、大学院や免許のことを考えられるようになったのかもしれません。

各地に散らばるパレスチナ人

 石けん工場で働いていたナダさんは、結婚後、夫ともにドイツに移住しました。結婚直前に夫がイスラエル軍に拘留されたことが決断に影響したのかどうかはわかりません。彼の親族がドイツにいるのだ、ということでした。

  1948年のイスラエル建国前後や1967年の第3次中東戦争時に故郷を追われて難民となって周辺諸国に住む人たちだけでなく、仕事を求めて海外に行く人たちも多くいます。血縁関係を大事にするパレスチナの人たちですが、周辺アラブ諸国、欧米など、家族・親族が散らばっていることが多いのです。海外で生まれた子どもたちの教育をどうするか、子どもたちが学校に入る時期にパレスチナに戻るか、子どもと母親だけパレスチナに帰って父親は海外で働き続けるか、なども難しい決断です。   スアードさんと工学部で同じ学科だった卒業生14人のうち12人が海外に出たそうです。多くは湾岸諸国です。「ナジャハ大学の4分の1が工学部生。卒業生が多すぎるから仕事がない」とも言っていましたが。

 工場長のマジュタバさんの弟たち、アシュラフさん、マヘルさんはドバイで長く働き、結婚し子どもたちも生まれ、家族みんなでナーブルスに帰ってきました。  なぜ、仕事がないか。それはやはり、占領下であり、イスラエルにモノと人の移動を全てコントロールされ、経済の発展が妨げられている、先行きもわからないことが大きな原因だと思います。

ショート・ビデオ

 マジュタバさんの娘のファラハさんが石けん工場の様子とお父さんへのインタヴューで3分の動画を作りました。彼女は大学でメディア学を専攻していて、その課題に選んだのだそうです。アラビア語のまま、まず、パレスチナ・オリーブのFacebookでシェアしました。英語字幕をつける、と言っていたのですが、まだのようです。英語字幕がついたら日本語の簡単な解説も加えて、パレスチナ・オリーブのサイトでもわかりやすいところにリンクを貼り、通信でも紹介したいと思います。

  インタヴューは一度した後に間違って消してしてしまい、もう一度撮り直したそうです。「可愛い娘のためだから何度でも」とマジュタバさんが言うので笑ってしまいました。

 ところで、ファラハさんは、もともとメディア学を希望していたのですが、マジュタバさんは、石けん工場のためにマーケティングを勉強してもらいたがっていました。そのため大学入学時はマーケティングが学べる学科にいたのですが、1年で専攻を変更していました。「イギリスに留学してパレスチナに戻り、BBCなどのテレビ・レポーターになりたい」と言っていました。夢・目標というより、憧れでしょう。

  奨学金をもらって留学する。これは、男女問わず、パレスチナの若者の「憧れ」ですが、女性には、若い女性が一人で海外に出ることを家族・親族が許すのか、という大きなハードルもあります。

 

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投稿日:2016年09月14日(水)
この記事のURL:http://www.paleoli.org/?eid=159