噂のパレスチナ映画『歌声にのった少年』全国各地で上映中

背景がわかる良質な商品をお届けします。

パレスチナ・オリーブでは、素材の質や効能はもちろん、
誰が、どんな状況で、どういう方法で作ったものなのかといった製造背景をクリアにしています。
だから安心。だから美味しい。だから、自信を持ってオススメできる商品ばかりです。

生産者パートナーと協力し、ともに生きる
誰もが大切にされる社会を作っていきます。

パレスチナ・オリーブは、パレスチナ北部のガリラヤ地方(1948年からイスラエル領)のオリーブオイルなどの食品、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)ナーブルスのオリーブ石けん、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)イドナ村の刺繍製品を扱っています。

実際に食べて使って納得したものを輸入し、現地を訪問・交流しながら活動しています。

イベント

『ぜいとぅーん』54号 訪問報告「ガリラヤのシンディアナ」

『ぜいとぅーん』54号 2014年4月30日発行

訪問報告

 2月下旬から3月始めに、皆川とスタッフの井上でパレスチナの生産者を訪問しました。

 赤いポピーの花や黄色い菜の花、桜そっくりのアーモンドの花などが美しい季節でした。

 *現在、イスラエルの総人口の約800万人のうち、約20%の165万人がパレスチナ人。その多くがガリラヤ地方やワディ・アーラ地方に住む。「アラブ人」と呼ばれることも多い。

*ヨルダン川西岸地区:1967年よりイスラエル被占領地。1993年の暫定自治合意以降、多くの町や村はパレスチナ自治政府の管轄となったが、ヨルダン渓谷地帯など(面積で60%)はイスラエル軍の管理下に置かれている。西岸地区のパレスチナ人人口は約280万人。ユダヤ人入植者は約50万人。

*ガザのパレスチナ人人口は約170万人。このほか、世界各国に約540万人のパレスチナ人が住んでいる。

ガリラヤのシンディアナ

 ガリラヤのシンディアナ(以下、シンディアナ)は、また一歩前進し、活動内容が広がっていました。ここ数年、ヨーロッパの不況などにより売上が微減という我慢が続いていましたが、それも今年は上向きそうな予想だそうです。

メンバー

 コフル・カナ村にあるシンディアナの事務所・倉庫でオリーブオイルのボトル詰めの作業などを行っている女性たちは3〜5人。みな、子どものいるお母さんです。

 作業チーフのモナさんは、シンディアナで働いて4年になる40歳。以前にはナザレで記事のタイプ打ちの仕事をしていたそうで、パソコン仕事もこなします。ワフィーエさんは働いて3年の43歳。以前はコフル・カナ村の縫製工場で働いていたことがあるそうです。アイーシャさんは働いて1年半の48歳。それまでは働いたことがなかったそうです。

 倉庫で働くということは男性の仕事のようできつい、と言いながら、ボトル詰めの機械にボトルを並べる人、蓋閉めの機械を操る人、ラベルを貼る人と、それぞれしっかり作業していました。蓋を閉めるのが一番難しく、きちんとした位置にボトルを置いて適度に締めないと蓋の不具合の原因となるので、この作業はモナさんが行っていました。

 日本向けのオリーブオイルのボトル詰めは翌週の予定で、訪問時はアメリカに出荷するオイルをボトル詰めしていました。

ビジターセンター

 コフル・マンダ村にあるシンディアナのビジターセンターは、かご編みを習うコースや、販売のためのカゴの製作の場所、その女性たちのミーティングの場であるだけでなく、ユダヤ系のイスラエル人や外国人が訪問、交流できる場所です。

 新たに、アラビア語コースとヘブライ語コースができました。アラビア語を学んでいるのはユダヤ系イスラエル人。他にこのような場所はないので、イスラエル各地から学びに来ているそうです。ヘブライ語を学んでいるのは村の女性たち(イスラエルに住むパレスチナ人)。小学校からヘブライ語を学びますが、日常生活はアラビア語のため、ヘブライ語の読み書きは苦手な人が多いのです。しかし、ヘブライ語がもっとできれば、仕事のチャンスが広がると考えられています。

 センターでは、カゴを中心にシンディアナのオリーブオイルや石けんも販売してきましたが、最近はガリラヤ地方の他の団体とネットワークを作り、それらの団体の刺繍製品なども置いています。今後、ヨルダン川西岸地区の団体の製品も扱う予定です。

 そして! ナザレにもビジターセンターを開こうといま物件を探し中です。コフル・マンダ村のビジターセンターにはそこを目的とした人しか来ない。ナザレなら一般の観光客にも寄ってもらえる。それによって何が始まるのか、新たな展開が楽しみです(ナザレは、イスラエル国内で唯一「パレスチナ人の町」といえる場所です)。

ザータルの苗植ワークショップ

 ちょうど訪問中にオリーブ林でザータルの苗を植えるワークショップがありました。このオリーブ林は、(活用されていなかった土地を)スコットランド教会が買い、シンディアナと共同で運営しているものです。ロハのオアシス・プロジェクトに続き、シンディアナがオリーブの植樹から始めたプロジェクトです。

 ここはすばらしく肥沃な土地です。点滴灌漑していますが、オリーブは2年で2メートルを超える大きさになっていました。灌漑していても通常なら4〜5年の樹と思うところです(灌漑していないと成長はもっと遅い)。そして、オリーブの樹の列と列の間に、豊かに麦が育っていました。

 点滴灌漑とは水の消費量を最小限にする灌漑方式です。地面にホースが伸ばして置いてあり、そのホースにある針で開けたような小さな穴から、木の根元にぽたぽたと水がたれています。このホースの周りに(つまりオリーブの樹の下に)、ザータルの苗を少しずつ植えたのです。水と土地の有効利用でもあり、土壌を豊かにする方法でもあります。

 参加者は、シンディアナのパレスチナ人スタッフとユダヤ人スタッフ、スコットランド教会関係者(イギリス人)、ガリラヤ地方のヤフィーエ村のパレスチナ女性たちの3グループでした。

 ヤーフィエ村の女性がコフル・マンダ村を訪ねたのをきっかけに、ヤフィーエ村でも一度、カゴ編みコースが開かれ、現在は、ヤフィーエ村の女性たちがコフル・マンダ村のビジターセンターに通っているそうです。今回は女性たちにとって初めての合同ワークショップで、ハイキングといった雰囲気でした。お母さんたちは子どもを連れ、若い女性はおしゃれなよそ行きの服を着てきて、楽しんでいました。

 ザータルを植えるのは1時間半ほどの作業でしたが、その日は25℃を超えていたと思われるかなりの暑さで、みなぐったりしました。その後のランチは、ザータルやコフタが載っているアラブ風ピザ、ホンモス(ひよこ豆のペースト)など。みんなで一緒にオリーブの木陰で食べました。

スタッフ井上レポート

パレスチナの町とユダヤの町

 今回初めて訪れたイスラエル国内にあるパレスチナ人の村は、とても不思議な感覚にさせられました。車での移動が多かったのですが、気が付くといつの間にか風景が変わっている、という感覚です。外国人であり、初めての訪問者である私には村の境界線など全く分からなかったので、「感覚」としか言いようがありません。今回訪れた村は2000人余が暮らすナザレに近いスーラーム村でした。その村は今までに多くの土地をイスラエルに没収されており、現在の形になったそうです。コンクリートの綺麗な道路からいつの間にか砂埃が舞うような道路に変わり、村に入るとアラビア語しか目に入らなくなるのです。イスラエルでは道路標識でも何でもヘブライ語表記なので、それがないということにまず驚きました。スーラーム村には、パレスチナ自治区にある「パレスチナの都市」のような、ある意味で活気のある市場や町の様子は見られませんでした。パレスチナ自治区にある「田舎の村」という表現が近いでしょうか。イスラエル国内にあるパレスチナ人の村は、政府により村を大きくできないようコントロールされているそうです。

 そして、今回はユダヤ人の町も訪れることができました。スーラーム村からほど近い、アフーラという町です。道路はもちろんコンクリート舗装されており、大型ショッピングセンターやおしゃれなカフェがありました。日が暮れても町には活気がありました。この町で、私は二つのことに驚かされました。

 一つ目は、バス停に降り立った時に目に入った、私服で銃を持ち立っているユダヤ人男性です。イスラエルには徴兵制度があり、週末や週明けには、軍服姿で銃を肩に下げ移動している若者をよく目します。それだけでも十分威圧的なのに、私服のそれを見たときはその男性の、パレスチナ人に対する嫌悪感を見せつけられ、大きな恐怖心を覚えました。イスラエルに住むパレスチナ人は日常的にこの恐怖を、国家と市民の双方から受けているのだと痛感しました。もちろんすべてのユダヤ人市民がこのような感情を持っているとは言えません。しかし、同じ行動をパレスチナ人がとったらすぐに逮捕されるだろうと思うと、同じ国籍でも置かれている立場の違いがはっきりと分かります。

 二つ目は、そのアフーラにイスラエルに住むパレスチナ人がよく買い物に来たり、バイトなどでも働いている現状です。私たちはあるおしゃれなカフェに入りました。店員にアラビア語で話しかけましたが、首を傾げるだけで何も答えません。(ユダヤ人だった可能性もありますが)雰囲気からその店員はアラビア語が分かるけれども、話せない理由があるのかも…と考えました。帰国後、『自由と壁とヒップホップ』を観た時、イスラエルのマクドナルドでバイトをしていたイスラエル国籍のパレスチナ人女性が、店でアラビア語を話したために解雇された、という話が出てきました。アフーラの店員もその可能性もあったのかも、と思いました。日常生活で当たり前に使う母語を自国内で話してはいけない、これはパレスチナ人差別以外の何ものでもないと思います。パレスチナを語るときについ忘れられがちなイスラエル国内に住むパレスチナ人たち。それぞれに困難を抱えながらも逞しく生きる姿に感銘を受け、私も彼らとつながっていたいと思う気持ちが一層強くなりました。

ユダヤ人入植地で働くパレスチナ人労働者への支援

 イスラエル内とエルサレムのパレスチナ人労働者のために長く活動してきたマアンは、近年、ヨルダン川西岸地区にあるユダヤ人入植地に付随する工業地帯で働くパレスチナ人労働者への支援も広げています(労働環境については『ぜいとぅーん』52号を参照)。今回、マアンのエルサレム事務所で、若いユダヤ人スタッフのヨハブさんとエレズさんから話を聞きました(長いインタヴューになったので、詳細はサイトに後日アップします)。

 マアンは6年前から、アドミーム入植地と近郊の労働争議を支援するようになり成果を上げてきました。例えば、車の修理工の組合支援では、ストライキやデモをすることもなく、交渉半年で給料の増額や有給休暇の獲得など良い労働条件を確保しました。経営者側は当初、交渉に消極的でしたが、マアンが「14日以内に返事をしないとストライキしますよ」と伝え、あらゆるメディアに働きかけましたのが功を奏したのです。

 アドミーム工業地帯での活動について。2007年にはイスラエル最高裁で入植地で働くパレスチナ人労働者にイスラエル人労働者と同等の給料を与える判決が出ましたが、いまなおパレスチナ人労働者の平均収入はイスラエル労働者の約半額で健康保険や賞与といった社会保障はありません。マアンはそういった人々の権利を守るために闘っています。パレスチナの労働組合はイスラエルの裁判所に出向くことができず、パレスチナ労働者をサポートできないのです。
 しかし、労働者たちの間でマアンが有名になっても解決策は単純ではありません。他に仕事がなく、入植地で働かなくてもいい、ということにはならないからです。
 ただ、占領と直接闘えなくても、労働環境とは闘えます。そして、労働者の闘いは占領問題につながっています。

 ヨハブさんは大学生のときにヨーロッパやイスラエルの労働組合について勉強する中でマアンのことを知り、ボランティアを経てスタッフになったそうです。具体的な取り組みの中でパレスチナ人と一緒に働きたかったのでマアンに加わった、と言っていました。

 エレズさんは、東エルサレムに飛び地になっているユダヤ人居住区(スコーパス山)に通勤していたとき、毎日東エルサレムを見るのが辛く、何かできないか考え始めたそうです(通常、西エルサレムに住むユダヤ人は東エルサレムのパレスチナ人を見ることなく生活できます)。

目次に戻る

投稿日:2016年02月25日(木)
この記事のURL:http://paleoli.org/?eid=144