7月22日に国立(カフェれら)でお話会します。

背景がわかる良質な商品をお届けします。

パレスチナ・オリーブでは、素材の質や効能はもちろん、
誰が、どんな状況で、どういう方法で作ったものなのかといった製造背景をクリアにしています。
だから安心。だから美味しい。だから、自信を持ってオススメできる商品ばかりです。

生産者パートナーと協力し、ともに生きる
誰もが大切にされる社会を作っていきます。

パレスチナ・オリーブは、パレスチナ北部のガリラヤ地方(1948年からイスラエル領)のオリーブオイルなどの食品、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)ナーブルスのオリーブ石けん、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)イドナ村の刺繍製品を扱っています。

実際に食べて使って納得したものを輸入し、現地を訪問・交流しながら活動しています。

イベント

『ぜいとぅーん』52号 オスロ「和平」合意から20年

『ぜいとぅーん』52号 2013年10月24日発行

早尾貴紀

 1993年9月にパレスチナ解放機構(PLO)とイスラエル政府とのあいだで調印された「オスロ和平合意」(暫定自治宣言)からこの2013年9月でちょうど20年が過ぎました。しかし、パレスチナに「和平」はいっこうに訪れず、その兆しもありません。パレスチナ側でもイスラエル側でも無力感と無関心が広がっており、「和平」を信じたり論じたりすることができなくなっているように思います。この機に、オスロ合意とは何だったのか、そしてこの20年間の動きを、振り返ります。

* * *

 オスロ和平合意というのは、ノルウェーのオスロで関係者が秘密交渉を重ねてきたことに由来する名前です。その掲げた原則は、ユダヤ人国家のイスラエルとアラブ人国家のパレスチナとを分離させるために、ひとまずパレスチナに暫定自治政府を発足させる、というものです。つまり、パレスチナ国家をつくることに向けて、PLOを交渉相手として認める代わりに、PLOは1948年に建国されたイスラエル国家を交渉相手として承認する、ということです。

 この「相互承認」とも呼ばれる原則は、しかし、次のような決定的な不平等さをもっていました。

  • 1967年の軍事占領地を定めるグリーンラインは、1948年のイスラエル建国に先立って国連が決議した分割案を大幅に逸脱超過して、イスラエルが武力で獲得した領土を含むものであり(国連分割案ではパレスチナ全土の55%がユダヤ人国家だったが、第一次中東戦争の結果イスラエルは全土の77%の土地を獲得した)、それを既成事実としてPLOは追認することになった一方で、パレスチナ側は、ユダヤ人入植地とイスラエル軍基地に蝕まれ一体的領土とはなりえない西岸地区・ガザ地区を「将来的に国家とする方針である」という不確かな目標を得ただけでした。
  • パレスチナ国家を具体的に可能にするための重要案件である、ユダヤ人入植地、東エルサレム併合、パレスチナ難民、国境画定と出入国管理、水利権、などが「今後の交渉」に委ねられたまま、イスラエルによる西岸・ガザの占領の継続が容認されていました。

* * *

 結局オスロ合意のあとで展開されたのは次の事態でした。

  • パレスチナ自治政府の選挙は西岸・ガザ地区住民のみでおこなわれ、国連に難民認定された国外の難民キャンプにいるパレスチナ人や、難民認定のない海外の離散パレスチナ人が和平の枠組みから切り捨てられました。
  • イスラエルはPLOに「自治政府」という名目を与えたものの、独立国家に向けた政策はとらず、自治政府をイスラエルによる間接統治の協力機関としました。
  • 西岸地区へのユダヤ人の入植活動をオスロ合意で凍結するどころかむしろ加速化させ、入植地は恒久的な都市の様相を呈し、撤去不可能な規模になりました。

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 和平が進展しないどころか、占領がむしろ悪化していくなかで、パレスチナ人たちの不満が爆発したのが2000年からの大衆蜂起いわゆる第二次インティファーダでした。しかしイスラエルは、この抗議活動を「テロ」と断じ、「パレスチナ側が和平を放棄した」と非難。懲罰とばかりに自治政府機関を空爆し、占領地全域を軍事侵攻しました。イスラエルは、協力機関としてのファタハ自治政府(ファタハはPLOの主流派)を見限り、一方的措置として、西岸地区のユダヤ人入植地をイスラエル領側に取り込む、長大な「隔離壁」の建設に乗り出しました。

 隔離壁がほぼ完成すると、エルサレム周辺を中心に広大な土地がイスラエル側へと切り取られるとともに、残された西岸地区は巨大な監獄と化しました。インティファーダも終息し、無力さを露呈させたファタハも支持を失い、パレスチナ側には打つ手なしの閉塞感が漂っています。

 他方でイスラエル側では、政府も市民も、隔離壁の完成とともに、「壁の向こう側」への関心を失ってしまいました。中東和平交渉の再開というニュースも最近流れましたが、入植地撤去や難民帰還権についてイスラエル側の強硬姿勢に変化はなく、交渉の進展は望めません。そもそもイスラエル政府はパレスチナ側に現実的提案を示す気もなく、イスラエルの一般市民は国内経済にしか目が向いていません。

 和平なきオスロ合意から20年。最初の原則から不公正であった交渉の枠組みが、完全な破綻へと至ったのは必然的なことだったと思います。

 

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投稿日:2014年01月10日(金)
この記事のURL:http://www.paleoli.org/?eid=109