パレスチナ地域の歴史と現状

イスラエル

1948年に建国を宣言、1949年停戦によりイスラエル領。総人口約950万人のうち、約20%の200万人がパレスチナ人。その多くがガリラヤ地方やワディ・アーラ地方、ネゲブ砂漠に住む。「アラブ人」と呼ばれることも多い。

 

ヨルダン川西岸地区

1967年よりイスラエルが占領。1993年のオスロ合意以降、多くの町や村はパレスチナ自治政府管轄となった。

A地区(18%) パレスチナ自治政府が統治

B地区(21%) 自治政府が行政を、治安はイスラエルと共同統治

C地区(61%) イスラエルが治安、行政を支配

パレスチナ人の人口は約325万人。約145ヶ所の入植地に約70万人のユダヤ人が住む。

 

ガザ地区

1967年よりイスラエルが占領。パレスチナ自治政府の管轄。パレスチナ人の人口は約222万人。

 

このほかに世界各国に約600万人のパレスチナ人が住んでいる。

 

*左上はgoogle mapより。

パレスチナはどんな地域?

 地中海沿岸の青い空・・・現在のパレスチナ自治区とイスラエルの両方を含む「パレスチナ地域」は、アラブ人のムスリム、キリスト教徒、ユダヤ教徒らがともに生活をし、宗教も民族も多様な地域でした。広さは約27,000m2(関東地方より小さい)、地中海に面し、オリーブや小麦、オレンジなどが育つ豊かな土地です。

 

 16世紀前半からはオスマントルコ統治下でしたが、地元のアラブ人は自治的な暮らしをしていました。19世紀後半にヨーロッパ諸国が植民地支配を広げ始めた際に、イギリスやフランスの視野に入り、アラブ世界が分割されます。第一次世界大戦後、パレスチナ地域はイギリス委任統治領となりました。

 

1948年イスラエル建国「ナクバ」(破滅/大災難)

 20世紀前半を通じて発展していったシオニズム運動(★)は、第二次世界大戦直後47~49年に大規模かつ組織的にパレスチナを軍事侵攻し(48年 5月より第一次中東戦争)、それにともない大量のパレスチナ人が故郷を破壊され、当時の人口の半数以上が難民となりました。またガザ地区はエジプトの間接統治下に、ヨルダン川西岸地区はヨルダン統治下に置かれる一方、イスラエル領内にとどまったパレスチナ人は66年まで軍政下に置かれ、多くのパレスチナ人所有地がイスラエルに接収されました。

 

★シオニズム運動

パレスチナにユダヤ人だけの国を建設しよう、という運動。当時ヨーロッパで差別や迫害を受けてきたユダヤ人たちは、旧約聖書の中にある、「約束の地」「ユダヤ人離散」という葉を政治的に読み替えて、分割されたアラブの一地域であるパレスチナへの移民を正当化しました。

 

1967年第3次中東戦争 ガザ地区・ヨルダン川西岸地区の占領

 1967年の第三次中東戦争でアラブ諸国が大敗し、イスラエルによるガザ地区・ヨルダン川西岸地区への新たな占領が始まりました。

 

1993年オスロ合意とその後

 1987年からのインティファーダ(被占領地のパレスチナ人の民衆蜂起)、90年のソ連邦崩壊、91年の湾岸戦争など世界情勢の変化を受けて、1993年にイスラエルとPLO(パレスチナ解放機構)の間でオスロ合意(パレスチナ暫定自治合意)が結ばれました。「歴史的和解」として世界に歓迎されパレスチナ自治政府ができました。

 

 ところが、オスロ合意は、何らパレスチナ民衆の権利を回復するものではなく、難民の帰還権を無視し、パレスチナの土地を収奪し切り刻んでいるユダヤ 人入植地を容認し、水利権のイスラエル支配を認めたままの「合意」でした。他方で、オスロ合意以降に急増する海外からのイスラエル産業への投資による恩恵 からパレスチナ人は排除され、またパレスチナへの国際的な資金援助は自治政府周辺にだけ集中し民衆は置き去りにされました。

 

 この不満の蓄積が、2000年の「第二次インティファーダ」の勃発につながります。これに対し、イスラエルによる過剰な軍事侵攻、外出禁止令、検問所の設置、分離壁の建設などが続きました。

 

 2006年に、オスロ合意体制を批判してきたハマスが総選挙に勝利。イスラエルや国際社会はハマス政権を承認せず、イスラエルは封鎖や軍事侵攻を強めました。2007年、パレスチナ自治政府は、ガザ地区のハマース政府と西岸地区のファタハ政権に分離。

 

 2008年、2012年、2014年、2021年にイスラエルはガザ地区に大規模空爆・侵攻。

 2018年には、国民の約20%がパレスチナ人にもかかわらず、イスラエルはユダヤ人の国だとする「ユダヤ国民国家法」が成立。アメリカ大使館のエルサレム移転(エルサレムの併合容認)、バーレーンとUAEがイスラエルと国交樹立など、国際的な環境も悪化しています。

 2019-21年、イスラエルは3年半で5回のクネセト(国会)選挙を行い、2022年末には、歴史上最も極右的な政権が発足。2023年はイスラエル軍の侵攻、ユダヤ人入植者の暴力もますます激しくなり、20年ぶりの「大規模な侵攻」がおきています。

 一方、パレスチナ自治区では、大統領選挙は2005年から、議会選挙は2006年から行われていません。

 

 イスラエルに住み続けるパレスチナ人、ガザ地区のパレスチナ人、ヨルダン川西岸地区のパレスチナ人、エルサレムのパレスチナ人、周辺アラブ諸 国にパレスチナ難民として暮らすパレスチナ人、他国の国籍を持ちパレスチナ系○○人として暮らす人々、と異なる地域・状況に分断され、それぞれが困難を抱えて生きています。

パレスチナの現状

パレスチナ経済:占領とグローバリゼーションの二重苦

  • 本来は農業(穀物・野菜・果樹・酪農)、織物業、観光(巡礼)などが盛んな豊かな地域。
  • イスラエルの建国前後から継続的に土地(特に農地)の没収が続く。イスラエルによって、パレスチナ人の水利施設の開発は制限されている。
  • イスラエルの通貨(シェケル)が使われているため物価が高い。*2023年現在、日本の1.5倍以上の感じ
  • イスラエルの建築労働、農場労働、工場労働などをイスラル国内のアラブ・パレスチナ人、被占領地のパレスチナ人が担ってきた。しかし、1990年代以降、イスラエルはパレスチナ人労働者が働くことを制限し、代わりに外国人労働者を増やした(介護労働含む)。一方、イスラエルの縫製工場などは賃金の安い海外へ移転。逆に、衣類や日用品等は中国・東南アジアから安い製品が流入。
  • →1993年のオスロ合意後、いったんイスラエルからパレスチナ人労働者は切り離されたが、近年、分離壁の中も外もイスラエルに飲み込まれてきているようにも見える(事実上の併合が進む)。イスラエルやユダヤ人入植地の工場地帯で働くパレスチナ人の人数も再び増えてきている。
  • *イスラエルは労働許可証でパレスチナ人をコントロールしている。
  • 占領(検問所・分離壁)により、モノと人の移動がコントロールされている。

 

生活

  • ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、豆類など基本的な野菜は豊富。鶏肉と卵は新鮮で美味しい。日常的には野菜の味を生かしたシンプルな料理が多い。
  • 高い教育水準。パレスチナ自治区の大学進学率は男女とも50%以上。イスラエル内のパレスチナ人の進学率は10%以下だったが、近年増えてきた。また、これまでアラブ・パレスチナ人学生はパレスチナ自治区の大学に行くことが多かったが、近年はイスラエルの大学を選ぶ人も以前より増えてきた。
  • 決して良い経済状況ではないが、スマートフォンは普及。facebook、ツイッター、インスタ、WhatsApp(ラインのようなもの)、TikTok等でのSNS発信は盛ん。

 

(現在の)問題の枠組み、要素

  • 「ユダヤ人国家」であるイスラエルが、開き直って自民族中心主義、植民地主義を進めている。ユダヤ人に対しては民主主義、パレスチナ人に対してはアパルトヘイト的(人種差別)。近年はユダヤ系イスラエル人左派も「敵」扱い。自民族中心主義で強権的な国家(インドのモディ政権、ハンガリーのオルバン政権など)や湾岸諸国との結びつきが強い。サイバー技術(スパイウェア含む)の輸出。2023年、司法改悪案の成立で「ユダヤ人のなかでの民主主義」も危うくなっている。
  • パレスチナ自治政府(ヨルダン川西岸地区)による腐敗、人権侵害・弾圧。不人気のアッバース大統領。ガザ地区のハマス政権との分裂。15年以上行われていない選挙。

→イスラエルとパレスチナ、2つの民主的でない政府。両者の治安協力。民主的でない中東諸国の政府。
→二国家解決案の終焉。「二民族一国家」案の再熱? 多民族多文化国家へ??
(イスラエルの反シオニストのユダヤ人はごく少数だが活発に活動を続ける人たちも確実にいる。アメリカのユダヤ社会の分裂とイスラエル離れ)

 

*BLM(ブラックライブズマター)との類似「1948年からずっと息ができない」

→民族解放、独立国家などとは違う新たな方向、視点も出てきている。インターセクショナリティ(交差性)。マイノリティーと女性、という複合差別・抑圧など。