オリーブオイル石けん サラダ オリーブオイル工場オリーブの林

背景がわかる良質な商品をお届けします。

パレスチナ・オリーブでは、素材の質や効能はもちろん、
誰が、どんな状況で、どういう方法で作ったものなのかといった製造背景をクリアにしています。
だから安心。だから美味しい。だから、自信を持ってオススメできる商品ばかりです。

生産者パートナーと協力し、ともに生きる
誰もが大切にされる社会を作っていきます。

パレスチナ・オリーブは、パレスチナ北部のガリラヤ地方(1948年からイスラエル領)のオリーブオイルなどの食品、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)ナーブルスのオリーブ石けん、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)イドナ村の刺繍製品を扱っています。

実際に食べて使って納得したものを輸入し、現地を訪問・交流しながら活動しています。

イベント

21号(2005年8月8日発行)
  1. 「ガリラヤのシンディアナ」ニュース

    「ガリラヤのシンディアナ」の事務所と倉庫が手狭になり、マジダ・ル・クルム村からコフル・カナ村に引っ越しました。シンディアナの関連団体であり、ナザレにある、アル・バカー・センター(女性や子どもたちの活動を行う)とマアン(イスラエル内のパレスチナ人労働者のための団体=WAC)の事務所から車で15分と近くなります。

    石けん工場が念願の新工場へ!!

    これまでも通信でもお伝えしてきましたが、今まではずっと間借りの小さなスペースで石けんを作っていました。石けん工場をナーブルス近郊のベイト・フリークに2000年に作ったのに、一度も操業しないままアル・アクサ・インティファーダが始まり、イスラエルの武力攻撃が激化して、工場のある地域がイスラエルの軍事封鎖地域になり、行くこともできなくなってしまったからです。そのときには、5年間も放置することになるとは思わなかったでしょう。マジュタバさんは、「いつかは、、、」と夢を話し、その工場の配置図まで私たちに書いて見せてくれました。

    その念願の工場に2ヶ月前にようやく移って操業を始めたのです!! ナーブルスとベイト・フリーク間にある検問所が通れる日が多くなったからです。

    石けんの販売が厳しい状況は変わっていないそうですが、これからいい方向に進むことを願っています。

    一緒に石けん工場で働いていた弟たちは、ドバイに出稼ぎに行ったままです。マジュタバさんは「いつか状況が良くなって、弟たちがナーブルスに戻ってきて欲しい」と言っていました。

    「ナーブルスで検問所の他に良くなったことは?」と尋ねると「イスラエル軍の侵攻が減った。暗殺したり逮捕したりが、1週間か2週間に1回になった」とマジュタバさんが答えました。思わず「それって減ったの??」と聞き返してしまいました。「もちろん!以前は、毎日毎晩だったから」 1週間に1回だけ、という言葉はナーブルスの人々の置かれている状況を改めて考えさせられました。

    ちょっと固い石けんに変わりました

    前号で、緑色でちょっと柔らかい石けんのご説明をしましたが、今度は、十分乾燥した、緑がかったグレーの石けんが届きました。表面が白っぽいものが一部ありますが、これは、乾かすときに風が当たって表面が急速に乾いたからで、使い心地に変わりはありません

  2. まめ情報

    交通

    イスラエル内のパレスチナ人が移動する主な手段は7人〜9人乗りの乗り合いタクシーです。ある村とある村の間を走り、その間は乗り降り自由、距離に応じて運賃を支払います。ガザ地区や西岸地区もほぼ同様です。

    イスラエルのバスや電車の交通網は、基本的にユダヤ人の町を結んでいて、パレスチナ人にはとても不便です。パレスチナの村々や町を結ぶ交通はありません。これは、イスラエル内のパレスチナ人が受けている差別の一つです。

    シンディアナの女性たちも、自分で車を運転したり、誰かに乗せてもらったりして通っています。車を持つ、運転すると言うとぜいたくな話のように聞こえるかもしれませんが、生活必需品です。

    ナザレで働く女性スタッフが住む村からはナザレに行くバスも乗り合いタクシーもありません。そのため、ナザレに行く人の車に乗せてもらったり、途中までタクシーを使ったり、かなり苦労してナザレに通っていました。その後、ローンを組んで苦労して車を買ったそうです。

    車はもちろん中古車です。日本のようにピカピカの車は見たことがありません。アラビア語でも外来語で「ガレージ」と呼ばれている自動車修理工場があちこちにあります。オリーブオイルを運び、あちこちを走り回るシンディアナの車が、窓も壊れボロボロなのは、18号で報告した通りです。

    村?町?

    イスラエル内のパレスチナ人の村は、村と言っても、人口が1万人もいる町が多くあります。それでも行政区分は「村」になります。イスラエル内で行政区分上アラブ・パレスチナ人の「市」はナザレ(人口7万人)だけです。パレスチナ人が多い南部沿岸の都市ヤーファは、行政上隣のテルアビブに統合され、「テルアビブ・ヤッフォ」という区分になりました(ヤーファはアラビア語、ヤッフォはヘブライ語)。北部沿岸の都市ハイファには、今でも少数ながらパレスチナ人が住んでいますが、主に一街区に固まっています。その北にある都市アッカも古くからパレスチナの町で観光地ですが、パレスチナ人の追い出しが進んでいます。

    村から都市へ、という移住は多くの国で見られますが、イスラエル内のパレスチナ人には移住する都市部がそもそもありません。そのため、村の人口は増えますが、今度は家を建てるための土地がありません。イスラエル国土の93%はイスラエル土地管理局の管轄下にあり、たとえパレスチナ人の所有地であっても自由には使えないからです。

    倉庫が移転したコフル・カナ村(人口1万7千人)やオリーブオイル圧搾工場のあるアラーベ村(人口1万4千人)をはじめ、多くの場合管理が及ぶのは村の土地の3分の1に過ぎません。残りの場所では、自分の土地であっても、家を建てることができず、家族が増えてやむを得ず「違法に」家を建て、結局はイスラエル政府に家が破壊されてしまうことが多くあります。

  3. 働く女性たち

    『ぜいとぅーん』19号で簡単に紹介しましたが、マアン(イスラエル内のパレスチナ人労働者のための団体)主催の3月の国際女性デーで働く女性たちを撮った12分のビデオ『仕事が欲しい』が上映されました。「シンディアナ」の女性たちもちょっとかしこまってインタヴューに答えています。そのビデオが届きましたので、ご紹介します。


    『仕事が欲しい』

    女性たちが働く主な理由は経済的な理由と自己実現の二つです。

    シンディアナ女性たちは、口々に言います。

    「9人兄弟姉妹です。そのうち2人が近々結婚するのでお金がかかります。」

    「仕事のある日は生き生きします。食事をしたり、家事をしたりする時間もあって仕事もして、充実して過ごすのです。仕事のない日は怠惰に感じます」

    「私が働いている、というと、女性たちはみんな私をうらやみます。仕事があるなんてどんな幸運あったの?って。」

    以前シンディアナで働き、学校に通い直して、コンピューター関係の仕事に就いた女性は「誰にも依存していない、自立していると感じます」と言っていました。

    しかし、家父長制的なアラブ社会の中では、女性が働くことは当たり前ではありません。シンディアナの女性たちが働くことにも家族の反対があります。

    「私の父は女の子が働きに出ることに反対していました。父が家族を十分養えないように見えるので、不名誉だと考えたのです。」

    「婚約者は私に働かないで欲しいと言っています。男性が家族を養うべき唯一の人間だと言って、女性が働くことに反対なのです。」

    シンディアナの女性は、シンディアナの運営にも参加し、労働者としての権利を持って、朝10時から夕方4時間で働いています。

    しかし、一般にイスラエルで女性が働く環境は劣悪です。女性たちが権利に無自覚なことにつけ込んで、厳しい条件を強いるところが多いのです。契約書も、給与明細もありません。

    「ユダヤ人経営の縫製工場で働いていましたが、病気だろうと何だろうと一日休んだら解雇されます。仕事が欲しい人は他にいっぱいいるので。」

    「研修期間だと言って、最初の1ヶ月は賃金がもらえませんでした。」

    「早朝に家を出て、日の照りつける農場で10時間働いて、賃金は80シェケル(約2千円)。にしかならない。疲れてくたくた。」(イスラエルの最低賃金時給は約450円なのでこれは不法な賃金。ちなみにイスラエルの物価は日本と変わりません)

    「一番つらいのは権利が踏みにじられているのに、やめる以外に何もできないと感じたとき。」

    マアンの女性スタッフは「女性が権利を確保し、労働条件を改善するための組織が必要だ」と言います。


    ビデオの最後には、マアンがきちんとした労働条件を確保し、農作物の出荷工場で働くようになった女性たちの様子が出てきます。その女性たちが3人並んでインタヴューに答えているのですが、みんなとっても嬉しそうに笑っているのが印象的でした。

    「結婚して以来、25年ぶりに働くの。とっても嬉しいわ。他の人だってみんな働きたがっているから、何人だって連れてくるわよ。仕事場までみんなを乗せる車がいっぱい必要だわ!」冗談を交えてニコニコでした。

     

    女性たちに仕事がない理由

    1948年にイスラエルが「建国」され、現在までの間に豊かな農地の半分以上がイスラエル政府に押収されました。パレスチナ人が多数を占めるガリラヤ地方は、イスラエルとなりましたが、1966年まで軍政下に置かれていました。以降、パレスチナ人はイスラエル経済の最底辺で働いてきました。

    繊維工業

    1970年代、80年代に縫製工場がユダヤ人の町からガリラヤ地方に移り、独身のパレスチナ人女性が働きました。

    1993年のパレスチナ暫定自治合意(オスロ合意)の後、アラブ諸国とイスラエルの経済関係が改善し、多くのイスラエルの縫製工場が賃金の安いヨルダンや、エジプト、中国や東南アジアに移転しました(イスラエルの賃金の10分の1)。そして、多くの縫製工場が閉鎖され、アラブ・パレスチナ人の女性たちは職を失いました。

    農業労働

    パレスチナ人の農地の多くが奪われ、さらに不公平な水の配分のため、パレスチナ人が農業で十分な収入を得ることは困難です。その一方で、ふんだんに水を使えるキブツなどユダヤ共同体の農場でパレスチナ人が雇用されていました。リンゴ、ナシ、オレンジ、レモンの収穫、綿花畑やプルーンなど果樹園の草取りなど1年中、何でもしていました。

    1993年のオスロ合意後、イスラエル政府はガザ・ヨルダン川西岸地区からの労働者を大幅に制限する一方、タイや中国からの外国人労働者を増やしました。これにより、建設労働に従事するパレスチナ人男性、農業労働に従事するパレスチナ人女性が仕事を失いました。外国人労働者は、長時間労働・低賃金という厳しい条件で働かされています。

    農業労働従事者の割合の変遷

    イスラエル統計局発表。登録された労働者のみ。この他に不法労働者が増えています。

    1990年、農業従事者7万千人。

    • ユダヤ人:51,000人
    • 移民労働者:なし
    • イスラエル内のパレスチナ人:11,000人(うち自営農5,000人)
    • ガザ・西岸地区のパレスチナ人:9,000人
    • 1998年、農業従事者7万3千人。

    • ユダヤ人:37,000人
    • 移民労働者:24,000人
    • イスラエル内のパレスチナ人:12,000人(うち自営農3,000人)
    • ガザ・西岸地区のパレスチナ人:なし(封鎖等)
    • 2003年、農業従事者7万人

    • ユダヤ人:35,000人
    • 移民労働者:24,000人
    • イスラエル内のパレスチナ人:7,500人(うち自営農2,000人)
    • ガザ・西岸地区のパレスチナ人:2,900人

    参照:challenge90号

  4. 本&映画コーナー

    新刊紹介

    アミラ・ハス『パレスチナから報告します』(くぼたのぞみ訳、筑摩書房)

    著者のハスは、イスラエルのユダヤ人で、イスラエルのヘブライ語日刊紙「ハアレツ」の記者ですが、長年ガザ地区やヨルダン川西岸地区のパレスチナ人の中に住み込みながら、被占領下にあるパレスチナ人たちの「実態」を具体的に伝える記事を書き続けてきました。ハアレツ紙は、「中道やや左寄り」くらいのスタンスと言われ、イスラエルの政策批判が十分とはいえないものの、他紙と比べると冷静な分析的な記事が多くあります。またアミラ・ハスを筆頭として、占領下パレスチナの現状を鋭く厳しく描く記者もいく人かいます。

    この本は、日々の新聞に掲載された文章からの抜粋であり、イスラエル国内の読者を想定して書かれた文章であるため、必ずしも海外の読者には「わかりやすい」ものではありません。しかし、概説・入門からもう一歩踏み込んで、パレスチナの生々しく複雑な現実を知るためには、うってつけの本です。ハアレツの英字サイトはこちら

     

    山形国際ドキュメンタリー映画祭

    日時:2005年10月7日(金)-13日(木)

    パレスチナ人ミシェル・クレイフィとイスラエル人エイヤル・シヴァンの共同監督・製作である『ルート181』が上映されます。1947年の国連分割決議181の境界線に沿って旅をしながら様々な立場のイスラエル人、パレスチナ人へのインタヴューした作品です。この分割決議の境界線は現在のグリーンライン(1949年の停戦ラインであるイスラエルとガザ・西岸地区との境界線)とは異なりガリラヤ地方がパレスチナ領に入ります。

    隔年で開催される山形国際ドキュメンタリー映画祭には、世界中から約1500本の応募があり、コンペ出品の15作品等が山形市内の各地で上映され、街全体が映画祭のムードになります。コンペの正式出品に選ばれないものでも、山形の映画祭事務局に行けば、ビデオブースで過去の作品を見ることができ、パレスチナ/イスラエル関係の映像も何十本もあります。パレスチナ・オリーブのサイトの映画コーナーで「山形で見られるお奨め映画」を紹介しています。

投稿日:2005年08月08日(月)
この記事のURL:http://www.paleoli.org/?eid=213